カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

また同レーベルより発売中のアンソロジー
「ヒドゥン・オーサーズ」

にも短編を寄稿しています。
この本は新潮社が発行している雑誌「波 2017年7月号」で
王様のブランチでおなじみの書評家・滝井朝世さんにも取り上げていただいています。


なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち

 地震のすこしまえに目が覚めた。阪神大震災のときは地震の直前に目が覚めた。8歳だったぼくは31歳になったけれど、6面そろったルービックキューブを人生ではじめてみた口をぽかんと開けっ放した息子はまだ2歳半だ。

 今日のいちばん朝の時間にはほんとうにうれしい知らせがあって、かねてからの友人の町屋良平が芥川賞候補になった。候補作『しき』についてはもう過去のブログで書いたのでなにかをいまさらいうつもりはない。ふつうに、ほんとうに「ふつう」に、かれのことばや物語において代表作と呼びたくなるこの作品が受賞して欲しい感情しかぼくにはないので、受賞予想もするつもりはない。

www.waka-macha.com

また、地震があって、お風呂のなかにお水を貯めたりしていたあと、お手伝いをしているWEBメディアの「UNLEASH」で創作と批評のコラボ企画『ストレンジャー・シングス──いま、ここだけの小説【大前粟生×大滝瓶太】』が公開された。

unleash.tokyo

 あと大前粟生の初の単行本『回転草』も書肆侃侃房から出た。

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「作家になる」とはどういうことか?──マンガ「ものするひと(オカヤイヅミ)」

「ぼくも小説、書いてみたいんですよ」
 飲み屋かなにかでたまたま話すことになった男性にこう言われたある作家はこう返したという。
「じゃあ、あなたが持っているそのiPhoneで今から書き始めたらいいじゃないですか」
 今日の話は、いってしまえばこのやりとりのことを何度も繰り返すだけだとはじめに書いておく。

*****

 気がつけば作家の友人・知人・恩人、ともあれ世に言うところの「作家」という人種のひととの交流がいろいろと多くなるなかで、まがりなりにも「文章を書く」という仕事をしていると、書けば書くほどに「肩書き」というものがわからなくなってくる。
 昨年、インディーズレーベルとはいえ、「惑星と口笛ブックス」からじぶんの短編集を刊行してもらった。まわりのひとたちはそのことをよろこんでくれて、
「お前はもう作家と名乗っていいんだよ」
 といってくれたりもしたけれど、今のところぼくはそう名乗るつもりはない。むしろ、この先たとえ文芸誌に自作が掲載されたり、紙の本が刊行されたり、なんらかの文学賞を受賞したとしても、ぼくはじぶんを「作家」とは名乗りたくないと考えている。作家を名乗ったところで生活は変わらないだろうし、じっさいに新人賞を受賞して「作家」になった友だちはみなそれによってなにかが変わったということもなかった。
 肩書きなんてどうでもいい、というのが本音だ。しかし、フリーランスとして働いていると「何者であるか」が客観的に見てわからないのは問題で、どういう経歴でどういうことに専門性があり、どういう文章が書けるのかというのは明確にしておく必要がある。たとえばこのブログがいまなお割と頻繁に更新されている理由もそれだ。開設当初はあくまでじぶんの小説の文体を整えるための練習場だったり、眠れば忘れてしまうだろう日々のあれこれを書き留めておくためなど、そんなごくごくありふれたプライベートで閉鎖的なものだったのだけれど、いまじゃ「文章書き」としての名刺でありポートフォリオであるといった意味合いが強い。
 ぼくは今年になってじぶん自身を「書評家」であり「コラムニスト」であるという風に名乗るようにした。便宜上、「ライター」と自己紹介することもあるけれど、取材系やインタビュー記事を基本的に書かず、あくまで「読書」や「科学」といったじぶんが自覚したアイデンティティに特化したフィールドでぼくは文章をやっている、ということを外的に示しておきたいという意図がある。こういう話はぼくの中だけのことなので、あまり話す価値もないだろう。

 ぼくが「作家」という肩書きをじぶんで使用することを拒んでいる理由はといえば、世間一般で認知されている「作家像」みたいなのがとても苦手だからだ。いまでこそインターネットで書いた小説を匿名で投稿し、同じく小説を書くひとたちとの小説を通じたコミュニケーションができるようにはなってきたとはいえ、それでも、
「ぼく、小説を書いているんですよ」
 みたいなことを、実生活の友人に話すにはなかなか勇気いることだ。少なくともぼくはそう思っている。小説を書いているなんて恥ずかしいことだ。高校生のとき、小説なんて書くどころかほとんど読みもしなかったのだけれど、文芸部で小説を書いていた4組のDというやつがいて、ぼくはそいつを気持ち悪いとおもっていた。バンドを組んで文化祭とかで音楽をやるやつらはかっこいいとはおもった。しかし、どうして小説は気持ち悪くて音楽はかっこよかったのか。どちらも「表現」であることには変わりないけれど、事実ではなく虚構に向けられた創意というのは、虚構であるがゆえに現実が守ってくれないのかもしれなかった。
 この現実離れの感覚がさらに現実に侵食したとき、暴力的な猛威を振るうことになる。
「印税生活したいの?」
 とか、
「有名になりたいの?」
 とか、
「芥川賞が欲しいの?」
 とか、そういうことを聞かれることはこれまでになんどもあって、その度に即席の自虐ネタでお茶を濁していた。ただそれ以上にもっと嫌だったのが「実作をしている」という事実以上に「どんな実績を残したのか」だけを前提として話がどんどん進んでいくことだ。
 小説の、特に下される評価における「おもしろさ」であり「むずかしさ」にあたるものは、「書く側」も「読む側」も永遠に未熟であるという点だと考えている。いわゆる「正解がない」なんてことばは個人的に嫌いだから使わないけれど、ぼくが感じている小説という世界では、正解がないどころかだれも正しくない。みんながみんな、なにかを絶望的なほどになにかを間違えながら、その間違いを貫き通して真実に変えてしまう虚構を作っている。読み手の評価とは、その間違いにどれだけ付き合いきれるかという程度にすぎなくて、ただおなじ人間であるという前提によってたまたま理解・共感できたものを「良い」といってるだけだ。そしてときどき人間が理解・共感できない小説を人間が読むにはどうしたらいいんだろうとよく考える。そうやってぼくは小説を書いている。そのぼくの思考や実作に「作家」という肩書きはいらない。

 オカヤイヅミによるマンガ『ものするひと』は友人のひとり大前粟生くんから薦められたものだった。このブログでぼくは何度も「小説を仕事にすること」や「文章のありかた」だったり、じぶんでも青臭いと自覚する内容をいくつも書いてきたけれど、大前くんは「そういうブログを書くのなら読んでみては?」とLINEでこのマンガを教えてくれた。

目次

  • 現代の作家のおだやかでミニマルなことばの生活
  • 小説を書くことを選んだ人生

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読書のことを「インプット」とかいっちゃう連中は眼から血が出るまで読み返せ──乗代雄介『生き方の問題』(群像2018年6月号)

※このエントリーには乗代雄介『生き方の問題』のネタバレが含まれています

 一つ口惜しいのは、貴方が覚えていて僕が覚えていなかったことを、今は書くわけにはいかないということだ。それらは一年前に貴方が僕に話してくれた出来事として、左に無限に続く余白──もうそこは文字で埋まっているんだろう──に書かれなければ、僕にとって嘘になる。僕は今この余白を埋めるごとに、貴方に近づくような遠ざかるようなもどかしい心持ちでいるけど、この宙吊りがまた僕に絶望的な歓びをもたらすみたいだ。僕の書きつつの切迫が、そっくりそのまま貴方の読みつつの切迫になることを夢想しながら僕は書いている。貴方がそのように読むことをほとんど祈るように期待して。

乗代雄介『生き方の問題』(群像2018年6月号 p120)

 

 ぼくがいつまで生きるかはわからないし知りたくもないのだが、歳をとるたびにやはりというか、物忘れが多くなったような実感がある。ときにどうでもいいことを、ときに大事なことを忘れてしまうのだけれど、それはこれまでに記憶してきたあれこれが蓄積されてしまったせいなのか? 残りの人生で、というにはまだまだ早すぎる(と、いま信じたい)が、記憶が蓄積されるから覚えるのがむずかしくなるのか、はたまた単純に過去のあれこれにかかわらず純粋な記憶能力が低下してきたのか──記憶について考えるたびに思い起こされるのは、脳みそに刷り込まれ、あるいはこれから刷り込もうとする情報の群れを、自覚的に制御しかねるということだ。
 むしろ問題はこうだろうか。すなわち、物事の「記憶」と「忘却」はどちらがむずかしいのか。ここでこうしたマトリクスを考えることができるだろう。横軸に記憶と忘却をとり、縦軸に意識的と無意識的をとる。するとここに以下の4つが現れてくる。

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  • 意識的に記憶する(している)
  • 意識的に忘れる(している)
  • 無意識的に記憶する(している)
  • 無意識的に忘れる(している)

 こうして整理した段階で今一度考え直してみると、歳をとるたびに「無意識的に忘れる」ことが多くなり、同時に「無意識的に記憶している」ということが多くなったという実感がある。しかし考えてみれば「意識的に記憶する」ことはほとんど仕事に関わることであり、学校を出て勉学から離れるとその量はものすごく少なくなった。そして「意識的に忘れる」というのは能力的に不可能で、これまでに一度もやったことがない。こうも「無意識」の存在が大きく感じられるようになったのは、10代や20代で人生で起こるほとんどのパターンの出来事がすでに生じてしまったからで、30代以降に起こる出来事の大半はその反復にすぎないからだ、という説を聞いたことがある。これは情報工学的な知見によるもので、反復される類似の出来事は抽象化されたひとつのパターンとして認識されるという意味なのだが、もしそうであれば、ぼくらは長く生きれば生きるほどに人生における「特別」を無意識的に捨ててしまうように設計されてしまっているという風にも捉えるかねない。だからというのか、歳をとるたびに時間は加速する。

 それに抗う行為のひとつが「書く」行為であり、「読む」という行為だ。抽象化された記憶に特定の固有名詞を接続させることで、事象は具体化し、特別を獲得して復元される。しかしそこには大なり小なりの改ざんが含まれ、精密に、そして正しく描写するほどに「過去」に似たものになるけれど、それはどこまでいっても「似た」ものでしかない。この差異が顕在化がぼくらに時間の物質的な手触りをかんじさせる。乗代雄介『生き方の問題』は、この手触りをめぐる小説だ。そしてこの手触りをたよりに、ぼくらは記憶と忘却の無意識の深部へと入っていくことができる。

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なぜ結婚式を挙げないと離婚率が高くなるのか?

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結婚して今年で5年になる。

結婚当初、ぼくは博士課程の学生で同い年の妻は会社員3年目だったが、お互いに田舎の長男長女だったこともあり「結婚式ぐらいは挙げとくか」ということになった。

ぼく個人としては結婚式なんてただ面倒くさいという印象しかなかったのが本音だ。
金もかかるし準備も大変、披露宴に誰を呼び二次会には誰を呼ぶとかで気疲れもする。それに我々の人生は見せもんじゃない。
が、結婚式をやってみるとこれはこれで良い思い出になった。大学時代の先輩が式場で泣きじゃくりながら親族にウザ絡みしたり、「あ、我々って意外と友だち多かったんだ!」という発見もあったし、恩師には英語が下手くそなことを公衆の面前でバラされたりするしで、なかなか忘れるのも難しい濃い1日になった。

さて、こんなことを思い出したのは、生湯葉シホさんのこんな記事を読んだからである。

 

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この気持ちはけっきょく結婚式を挙げたぼくにもよくわかる。「結婚式を挙げない」はひねくれているとかそういう問題じゃなく、夫婦が下した1つの決断にすぎない。それを外野がどうこういうのは野暮だ。しかしこの選択自体がマイノリティであるがゆえに、記事内でもあるように「挙げるのが普通だから」という価値観のせいで生きづらさがどうしても生じてしまうのはやっぱり不憫だ。

この普通と言われる「結婚式を挙げたひと」が「結婚式を挙げないひと」に振りかざす暴力としてよくあるのが、

結婚式を挙げなかったカップルは離婚率が高い!

というやつだ。

これはよく知られた統計なのだけれども、「結婚式を挙げれば結婚生活はうまくいく」という主張に繋げられる(=「離婚しないためにも結婚式を挙げなよ!」というやつ)ことがよくある。というわけで、まずはデータを見てみよう。

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引用:http://www.mwed.co.jp/wp/wp-content/uploads/2013/10/20131029_kirikon.pdf

上図で「入籍のみ」をみると、離婚カップルの数値が3倍ほど高くなっている。

でもこれって、ぶっちゃけどうなのだろうか?

 

目次

  • 「因果関係」と「相関関係」をごっちゃにしてない?
  • 「結婚式を挙げる/挙げない」を選択するポイントは2つ
  • 結婚式問題は「夫婦で決断する」最初の問題
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【随時更新】noteで公開している小説のリストとあらすじ

まちゃひこです。

表題の通り、noteに持て余していた小説を公開しました。

大滝瓶太|note今後も書いた小説や翻訳は随時noteにて公開していきたいとおもいます!

というわけで、noteで公開している小説のあらすじをまとめてみました。
暇つぶしにどうぞ!

 

作品リスト

  • 皮を剥ぐにはうってつけの日
  • 暴君アヴァレンティヌス
  • ヒア・ゼア・エブリウェア
  • むらにつもるこえ
  • 干乾びた胎児
  • 現在noteでまとめた短編集はこちら

 

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