カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


温又柔「真ん中の子どもたち」感想/「アイデンティティの安全」を生きるわたしたちの無自覚な暴力

第157回芥川賞の選評が公開された。

 

芥川賞の特殊なところはなによりもその影響力なのだけれど、それ以外にも「選考委員全員が現役作家」というものもある。選考委員に選出されるひとたちは日本の文学シーンを支えてきた「一流」の作家という印象がつよいのだけれど、しかしいざ選評を読んでみると「良き作家=良き読者」というわけではないんじゃないか、という不信感が年々つよくなっていくかんじがある。もちろんそれは全員なのではないけれど、あたらしい文学にたいしてじぶんたちが「試されている」という自覚のないまま、小説を漫然と読んでいるだけの選考委員がたしかにいる。

しかしこういう風に賞の選考委員への不信感をあらわにすると、その賞の候補に選出された作品や受賞作の信憑性にまで影響してしまうのであって、ぼくとしても安易な発言はしたくない。

しかし、今回あえてこの話題をとりあげなくちゃいけないな、とおもったのはちょっとしたあるできごとを見てしまったからだ。

 

 

今回候補にあがっていた温又柔「真ん中の子どもたち」にたいして、宮本輝が「対岸の火事」だと切り捨てた。このことについて、いろんなことをおもった。

 

目次

  • アイデンティティの「安全」
  • いわゆる「対岸の火事」について

 

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「囚われの島(谷崎由依)」感想/強迫観念と寓意、物語という感覚器官

 時間の感覚、そして空間の感覚。

 見えなくなるにつれて、わたしはわたしの内側に世界の地図を記録しはじめる。

 平面のそれではなく、絵ではなく、世界そのものを。奥行きと高さとでっぱりのある、この世界のおうとつを、そのまま内側に取り込もうとする。閉じた瞼の裏側に、色彩を映さない心の網膜に、世界をそのまま写し取る。わたしはわたしの内側に、世界が彫り込まれていくのを感じる。わたしの、この見えない目を鏡として、こちら側に世界がそっくり閉じ込められていく。部屋を、家のなかを、街を歩くとき、わたしが歩いているのは実在の街であり、同時にわたしのなかのその地図だ。

 

谷崎由依,「囚われの島」

 

 翻訳家でもある作家・谷崎由依の初となる長編小説「囚われの島」を読んだ。

作者のイベントにいったとき、彼女はガルシア=マルケス「百年の孤独」を読んだときの衝撃についてしゃべっていたのだけれど、神話や現代社会、フェミニズム、民話、奇想などなど多岐にわたる想像力によって紡ぎ出されたひたすらな物語の連鎖でもって、肉眼による視認をゆるさない世界へと大規模にアプローチを試みたこの小説はたしかにマルケスをおもわせるものがあった。ぼく個人の感想として、とても好きな部分もあればそうでない部分もあったのだけれど、デビューから一貫してみせるちょっとやそっとじゃ決して真似などできない文章運び、そしてなにより寓意をかたちにする底力は健在で、ありきたりなことばになってしまうけれど「読むほどにひきこまれる」小説だった。

 

目次

  • 「オリジナル」であること
  • 「寓意」と「意味」
  • 物語という感覚器官

 

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在宅パパがフィーリングで牛すじ煮込みをつくったのでレシピを公開するよ

ブログといえば料理ということで、ぼくの手料理でもアップしてみる。

 

うちはぼくが在宅ライターで嫁氏が会社員という家庭なので、平日の家事諸々と子育てはぼくがやっている。しかしこれがなかなかめんどうくさい家庭外でのコミュニケーションを生んでいて、嫁氏は飲み会などに参加するたびに、

「きょうは旦那さんが子ども見てるの?」

「はい(え、そうじゃなかったら誰がみてんねん……)」

「理解のある旦那さんやね!」

「はあ……(なにが?)」

というやりとりをうんざりするくらいしているらしい。

ぼくはといえば基本的にだれにも会うことはないので(仕事はだいたいメールのやりとりばっか)、だれかになにかをいわれること機会すらないのだけれど、たまに人に会えば、

「男としてい恥ずかしくないのか!?」

と怒られる。

いやまぁ、稼げてないのは事実だから(※お仕事ください)なんにもいえないのだけれど、そもそも会社員のときから嫁氏と年収格差はあったし、ぼくだっていまの仕事はやりたくてやってる。結果が出るまでまだまだ時間はかかるのはわかっていて、それでも家庭と夫婦両方の仕事を尊重して納得のうえいまのかたちで生活しているのでそっとしておいて欲しいというのが本音だ。

 

……ともあれぼくは家庭に迷惑をかけているという事実は変わらず、せめてもの罪滅ぼしということで晩飯くらいはもう少し力を入れるべきでは?とおもいたって、ここ最近は以前よりも真面目に料理をするようにした。

というわけで「牛すじ煮込み」を作ったわけである。

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ぱっと見た感じうまそうに見えるが、実際にうまい。

 

というわけで、この料理のレシピを公開することにした。

 

目次

  • 材料
  • 作り方

 

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【翻訳短編】H. G. ウェルズ「新星(The Star)」

古典SFの大家、ウェルズの短編「The Star」を翻訳しました。

まだプロトタイプな感じは否めないですが、お楽しみいただければ幸いです。これから定期的に古典短編の翻訳を公開していきたいと思っています。

3つくらい翻訳のストックがたまったら解説もつけて電子書籍にしたいと考えています。その際に翻訳ももうちょい質を上げたいところ……!

 

既訳は岩波文庫「タイム・マシン(訳:橋本槇矩)」に「ザ・スター」というタイトルで掲載されています。

ぼくの翻訳では既訳ではおそらく日本の小説には馴染まないと判断されたであろう表現(それゆえにめちゃくちゃ読みやすい!)をなるべく削除せずに訳出することを心がけました。

 

ちなみに翻訳の勉強で役に立った本を紹介しておきますね↓

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「ヒドゥン・オーサーズ(惑星と口笛ブックス)」についての雑感/自由と不自由は相反しない

このブログで何度も宣伝してきた「ヒドゥン・オーサーズ」という電子書籍アンソロジーが発売されてもうじき3ヶ月になる。

小説を書きはじめたのは23歳の夏くらいで、はじめはネットの小説投稿サイトでちらほら短編を書いていて、それが気がつけば文学賞に応募したり友人と同人誌を作ったりしてきたのだけれど、そのたびに「読まれる」ということを思い知らされてきたなぁ、とふとおもう。

特にブログや小説投稿サイトで文章を公開するとこの「読まれる」という意識は希薄になりがちだ。せいぜい10000字未満の文章であれば割とスルッと読んでくれる方が多く、賛否様々なコメントがもらえたりして、それがけっこう当たり前に感じられてしまう。有料の、それも現在まだ浸透していると言い切れない電子書籍、それも有料での販売となるとそもそも「読んでもらえる」ことがまずむずかしいわけで、たった一言の「おもしろかった」がずいぶん身にしみる。

ネットで様々な方がヒドゥン・オーサーズを取り上げてくださりました。 ほんとうにありがとうございます!(単なるイチ寄稿者でしかないのですが……!)

s-taka130922.hatenablog.com

lfk.hatenablog.com

okirakukatuji.blog129.fc2.com

www.machikado-creative.jp

 

ひょんなことから西崎憲さんに「惑星と口笛ブックス」の企画にお誘いいただくことになったのはおそらくちょうど1年前で、ぼく自身、あのときはもう何を書いてもダメなんだと感じていて、じぶんの「おもしろい」とおもう感性やまがりなりにも考えている「文学」について他のひととずいぶんズレていることがいよいよ重大な問題だと自覚しなければならない時期にあった。

いまもそうなのだけれど、そういう危機感を持つと卑屈になってしまうし、ネット上に書いたものを公開しても「読まれている」という意識がどうしても希薄になってしまう。他者とのかかわりが読書や創作において重要だというひともいれば害悪だというひともいるのだけれど、ぼくにとってどうしてもわからなかったのが、ある本に対して「じぶん以外の読者が存在するのか」ということだった。

 

目次

  • 読書がもたらす「不自由」とは
  • 自由と不自由は相反しない
  • 新潮社「波」2017年7月号で取り上げられました。

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