カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


【翻訳短編】スコット・フィッツジェラルド「祝福」(原題:Benediction)

フィッツジェラルドの短編「Benediction」を翻訳しました。

今回は、Twitter上でお友だちから翻訳リクエストをいただいたのをきっかけに取り組んだ感じですが、なにか「これを訳して!」というのがあれば、お気軽にお問い合わせいただけると嬉しいです。モチベーションにもなるし!

ただ、著作権切れのものでないと公開できないのですが……!

 

ちなみに「Benediction」はこんな感じの短編です↓

 

「Benediction」はキリスト教での食事前の祈り・儀式のことで、「祝祷」あたりがタイトルの直訳になるかと思います。この小説にももちろん祝祷のシーンはかなり重要な局面で出てくるのですが、いろいろ考えて「祝福」をタイトル訳として採用しました。

 

英語で小説を読むのは慣れれば意外といけるので、興味がある方は試してみてください↓ 

www.waka-macha.com

 

ではでは、以下で翻訳を全文公開します。

 

目次

  • 「祝福」 スコット・フィッツジェラルド作

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懐かしさ、あるいは重ね書きされた世界のリアリズム/映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」感想

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※このレビューはアニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?上から見るか?」の内容についての言及を含みます。

 

岩井俊二原作のドラマ作品が、「物語シリーズ」や「魔法少女まどか☆マギカ」などで有名な制作会社シャフトによって映画化された。シャフトは好きだからうれしかった。

ともあれ岩井俊二(原作)×大根仁(脚本)×新房昭之(総監督)なので、見なくちゃなぁとずっと思っていた。

ヒロインは戦場ヶ原ひたぎに似ていて声が広瀬すずだったのだけれど、途中、「(花火に)イキたいの?」と問うシーンがあって、瞬間最高シコリティを記録した。

 

目次

  • あらすじ
  • いまでは〝ありきたり〟になってしまったセカイ系とタイムリープ
  • フィクションとリアリズムは相反しない。
  • 重ね書きされた世界
  • 子どもという「懐かしさ」

 

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温又柔「真ん中の子どもたち」感想/「アイデンティティの安全」を生きるわたしたちの無自覚な暴力

第157回芥川賞の選評が公開された。

 

芥川賞の特殊なところはなによりもその影響力なのだけれど、それ以外にも「選考委員全員が現役作家」というものもある。選考委員に選出されるひとたちは日本の文学シーンを支えてきた「一流」の作家という印象がつよいのだけれど、しかしいざ選評を読んでみると「良き作家=良き読者」というわけではないんじゃないか、という不信感が年々つよくなっていくかんじがある。もちろんそれは全員なのではないけれど、あたらしい文学にたいしてじぶんたちが「試されている」という自覚のないまま、小説を漫然と読んでいるだけの選考委員がたしかにいる。

しかしこういう風に賞の選考委員への不信感をあらわにすると、その賞の候補に選出された作品や受賞作の信憑性にまで影響してしまうのであって、ぼくとしても安易な発言はしたくない。

しかし、今回あえてこの話題をとりあげなくちゃいけないな、とおもったのはちょっとしたあるできごとを見てしまったからだ。

 

 

今回候補にあがっていた温又柔「真ん中の子どもたち」にたいして、宮本輝が「対岸の火事」だと切り捨てた。このことについて、いろんなことをおもった。

 

目次

  • アイデンティティの「安全」
  • いわゆる「対岸の火事」について

 

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「囚われの島(谷崎由依)」感想/強迫観念と寓意、物語という感覚器官

 時間の感覚、そして空間の感覚。

 見えなくなるにつれて、わたしはわたしの内側に世界の地図を記録しはじめる。

 平面のそれではなく、絵ではなく、世界そのものを。奥行きと高さとでっぱりのある、この世界のおうとつを、そのまま内側に取り込もうとする。閉じた瞼の裏側に、色彩を映さない心の網膜に、世界をそのまま写し取る。わたしはわたしの内側に、世界が彫り込まれていくのを感じる。わたしの、この見えない目を鏡として、こちら側に世界がそっくり閉じ込められていく。部屋を、家のなかを、街を歩くとき、わたしが歩いているのは実在の街であり、同時にわたしのなかのその地図だ。

 

谷崎由依,「囚われの島」

 

 翻訳家でもある作家・谷崎由依の初となる長編小説「囚われの島」を読んだ。

作者のイベントにいったとき、彼女はガルシア=マルケス「百年の孤独」を読んだときの衝撃についてしゃべっていたのだけれど、神話や現代社会、フェミニズム、民話、奇想などなど多岐にわたる想像力によって紡ぎ出されたひたすらな物語の連鎖でもって、肉眼による視認をゆるさない世界へと大規模にアプローチを試みたこの小説はたしかにマルケスをおもわせるものがあった。ぼく個人の感想として、とても好きな部分もあればそうでない部分もあったのだけれど、デビューから一貫してみせるちょっとやそっとじゃ決して真似などできない文章運び、そしてなにより寓意をかたちにする底力は健在で、ありきたりなことばになってしまうけれど「読むほどにひきこまれる」小説だった。

 

目次

  • 「オリジナル」であること
  • 「寓意」と「意味」
  • 物語という感覚器官

 

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在宅パパがフィーリングで牛すじ煮込みをつくったのでレシピを公開するよ

ブログといえば料理ということで、ぼくの手料理でもアップしてみる。

 

うちはぼくが在宅ライターで嫁氏が会社員という家庭なので、平日の家事諸々と子育てはぼくがやっている。しかしこれがなかなかめんどうくさい家庭外でのコミュニケーションを生んでいて、嫁氏は飲み会などに参加するたびに、

「きょうは旦那さんが子ども見てるの?」

「はい(え、そうじゃなかったら誰がみてんねん……)」

「理解のある旦那さんやね!」

「はあ……(なにが?)」

というやりとりをうんざりするくらいしているらしい。

ぼくはといえば基本的にだれにも会うことはないので(仕事はだいたいメールのやりとりばっか)、だれかになにかをいわれること機会すらないのだけれど、たまに人に会えば、

「男としてい恥ずかしくないのか!?」

と怒られる。

いやまぁ、稼げてないのは事実だから(※お仕事ください)なんにもいえないのだけれど、そもそも会社員のときから嫁氏と年収格差はあったし、ぼくだっていまの仕事はやりたくてやってる。結果が出るまでまだまだ時間はかかるのはわかっていて、それでも家庭と夫婦両方の仕事を尊重して納得のうえいまのかたちで生活しているのでそっとしておいて欲しいというのが本音だ。

 

……ともあれぼくは家庭に迷惑をかけているという事実は変わらず、せめてもの罪滅ぼしということで晩飯くらいはもう少し力を入れるべきでは?とおもいたって、ここ最近は以前よりも真面目に料理をするようにした。

というわけで「牛すじ煮込み」を作ったわけである。

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ぱっと見た感じうまそうに見えるが、実際にうまい。

 

というわけで、この料理のレシピを公開することにした。

 

目次

  • 材料
  • 作り方

 

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