カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

また同レーベルより発売中のアンソロジー
「ヒドゥン・オーサーズ」

にも短編を寄稿しています。
この本は新潮社が発行している雑誌「波 2017年7月号」で
王様のブランチでおなじみの書評家・滝井朝世さんにも取り上げていただいています。


New York City

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「イサム・ノグチの彫刻は、徐々に石を削らなくなる」

とダイキが言ったのはMETのなかの Water Stone の前だったのだけれども(上のやつは彼の「赤い立方体」)、彼が続けて言うのは、たとえばローマならば伝統や歴史の類は守られるものなのだけどアメリカもとりわけニューヨークっていう街ではそれらは作られるものだった。それは逆を言えば守るべきものがないゆえの行為で、独自の文化の不在なのかもしれない、たとえばピザはアメリカの料理ではないけどコーラをつければアメリカ料理になるというちょっとしたジョークのようなもので、それは一種の悔しさがあったのかもしれない。イサムの彫刻は、とりわけ晩年は日本庭園の影響を強く受けていて、それは日本文化の踏襲であると同時にアメリカのオリジナルでもあった。

 

メトロポリタン美術館(MET)はすごく行ってよかったし、それについて言い出せばキリがないのだけれども、セゴビアの愛器だったラミレスとハウザーが展示されていて、セゴビアの演奏がそんなに好きじゃないぼくでもやっぱりこの楽器からポンセやタンスマンやモンポウの今じゃとても大切な近代音楽が初演されたことを思うとぐっとくるものはあって、セゴビアのこの仕事は20世紀、たぶんもっと先までののギター音楽の基盤なのは間違いないのだったから、そこにあったのはその始まりの楽器。