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カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が5月中旬くらいに発売されます。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しました。

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現在、という時間への執着/リチャード・パワーズ「われらが歌う時」

 

われらが歌う時 上

われらが歌う時 上

 
われらが歌う時 下

われらが歌う時 下

 

 

 

 七時半に目が覚めると妻が枕元に立ってぼくを見下ろしていて、なにかいっていたのかもしれなかったけれどとても静かだったのはたしかで、すぐに家を出て行った。それから布団から這い出て昨日の夜にまとめておいた水色のゴミ袋を見て、ゴミ出しをしなくちゃとパジャマのままゴミを捨てにいくと寒かった。すれ違ったぼくより少し若い女のひとが、歩ける子どもと一緒に白い息を吐いていた。

 姉夫婦がじぶんの娘を実家に連れてきたとき、ぼくはその姪をとてもかわいいと思ったけれども、姉はぼくが父や母や妻のように目に見えるやりかたでばかになって姪をかわいがらないから、あんたには人間らしい部分がないんじゃないか、と笑っているふうにいった。それから何日かたって両親が結婚30周年になるからお祝いをすることになったけれども、祝いたい気持ちはあるのに祝い方がわからなくて、妻があきれている感じだった。ずっと小説のことを考えていた。ぼくの親しいひとはゆっくりとぼくに愛想を尽かしていく、そういう運動を感じた。部屋にもどってごはんとキムチをたべて麦茶を飲んだ。学校へいった。

 電車のなかでは「われらが歌う時」の下巻を読んでいた。あと200ページで終わるんだな、と思った。この小説は基本的にとてつもなく広い世界で、時間を気ままに飛び回りながら進行していくのだけど、基本的にはジョーイ(私)とディーリア(母)のちがうふたつの時間軸を主とし、それら二声が、対位法的にとでもいうべきか、掛け合いながら小説を綾なしていく。私の視点から想起されたことが、過去の母の章で語られ、過去の事実に対し二十年後の父がベッドの上で語る。すべてのエピソードが過去でも未来でもない現在としてただあり続け、その瞬間瞬間で存在する現在たちが、かれらの居場所ではない時間へ、時間軸の前方へ、あるいは後方へ向けて物語を放つ。過去が未来を導き、同時に未来が過去を導く。小説、というなんらかの「意識」によって張られた時空間のなかをはげしく運動するひとやひとでないもの、かたちあるものやかたちのないもの、それらをまとめて「今」や「現在」という揺らぎをまといながらも、しかし非常に強い意味をもつ概念として構築していく。過去、現在、未来と時間の呼び名を隔てるものを取り払い、時間が溶解されることで、あらゆるものが分離不能なものへと遷移していくような感覚、「私」のプライベートな問題さえも民族的ないし国家的な問題と等価なものとなり、個々のエピソードへの切実な関心のつらなりを「歴史」と呼ぶのかもしれなかった。

 研究室ではこれからぼくがとても長い時間をかけて考えていくことへの準備をした。ぼくが学校にいられる時間が、あと三か月を切ってしまったことが急にかなしくなった。学位を取ることを放棄したことへの後悔はないし、アカデミアに永遠に背を向けることへのうしろめたさなんてものはない、みんなのいう社会へ出るということへの恐怖があるわけではない、しかしこれからサラリーマンになることによって、ぼくの望まない営みに多くの時間を割かねばならないということがかなしいというのはかなりあてはまる。しかしそれだけでは感じた怖さやかなしさを説明することはできなくてそれは、もう二度と、前作を書いたような感覚で小説を書けなくなってしまうことへの怖さやかなしさがそうなのだろうと思う。生きる上でのすべての行動や思考を小説へと接続し、書いている小説にだけすべての集中力を注ぐ、というようなことはおそらく会社勤めのぼくだったらできない。何曜日に、何時から何時まで、といった習慣をつくることで要領よく小説を書く、という方法はおそらく不可能じゃないと思うけれど、ぼくが理想としている書き方であり、ぼくが目指している小説を書くためには、すべての時間で小説を書いているというような、そういう状態にならないといけなくて、たとえば、情熱、というものが有限の数字で指し示せる量であるならば、それを小説以外のなにかに分配するなんてことはどうしてもありえない。そういう書き方がやっとできるようになったのに、そういう書き方をもう二度とできないかもしれないなんて、と思うと、残りの三か月にすこしたりない時間がいとおしい。やっとこれから、これからなのに、とくやしい。だからぼくが学校にいられなくなる前に、やっと見つけた方法で、全力をつくさなければならない。そして全力をつくすことも、またこわい。おそろしい。

 

 

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