
- 作者: エドワードゴーリー,Edward Gorey,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2000/10
- メディア: 単行本
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- 作者: エドワードゴーリー,Edward Gorey,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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そのときは24歳の誕生日だった。
3年半とか前になるのだけど東京で学会があって、そのついでに東京の友だちと飲みにいったら、誕生日プレゼントをもらったのだけど、それが「ギャシュリークラムのちびっこたち」で、はじめてのエドワード・ゴーリーだった。友だちの前ではたぶん本を開かなくて、読んだのは帰りの新幹線のうとうとしているときで、トンネルがつーんなるときに包装をはがした(このときはいつも死んでしまうみたいな、もう2度と! な感じをなんとなくおもう)。細い線の多い絵だな、と思った。26人の子どもが26通りの死にかたで死んでいった。最後のジラーはジンを飲み過ぎて死んでしまった。ジラーが死んでから、ぼくは本を閉じて眠った。京都までぐっすりで、京都で降りれて良かった。
帰り道、ながく使っていたキャリーバッグのローラーが偏ったすり減り方をして、もう丸くなんてなかったから、転がす、というよりは引きずる感じで運んでいると、疲れて電柱2本に1回くらいで、キャリーバッグに腰を下ろしてぼさっとしていた。何回目かではもう座っている時間のほうが家に帰ろうと運動する時間より長くなっていて、Twitterを見ていたら、当時の藤野可織さんのTwitterのアイコンがジラーだった。ぼくはジンを飲み過ぎないようにしようと思ったけど、ビールが好きだから大丈夫だと思った。年が変わってからの友だちの誕生日には寄藤文平の「死にカタログ」をあげた。
最近、「蟲の神」が発売になって、海外文学コーナーにも幻想文学コーナーにもなくて子ども用絵本コーナーにあった。見つけるまで1時間くらいかかったけれども、途中になんども立ち読みしていたからべつによかった。
ゴーリーはひとを描かない。
ぼくはそんな印象をかれの作品群に感じていて、なんというか、1枚1枚の絵がこの世界で起こったひとつの現象で、それ以上でもそれ以下でもない、というような強い意思表示みたいなものがあるなって思う。子どもたちは死んだだけで、どんな子どもがどんな死に方をしても死んだだけ。招かれざる、異形の生き物が何をしようと、そいつはいつもそこにいるだけ。ゴーリーが書く絵本はひとの営みではなく、起こってしまったひとつの現象だ。ナンセンスではなく、そもそもひとの意思とはかかわらず発生してしまったシチュエーションに、なんらかの意味・教訓を見出そうとするひとの知的な振る舞いの方が、こわいような気もする。どうしてそんなになにかを求めるの? ぼくがいま生きている世界は、個人が他者の世界に対し積極的にアクセスすることが義務化されているように感じる。
「蟲の神」の訳者あとがきに、ゴーリーの言葉が引用されている:
「人がどうしていつもエベレスト山に登りたがえるのか、私にはさっぱり理解できない。ベッドを出るだけでも十分危険だとわかっているのに」
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