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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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どこまでもテキトーな「機械仕掛けの神」――ジェシー・ケラーマン『駄作』

読書

 

駄作 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

駄作 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

  ひとによっては「ふざけんな!」と激怒することもあるらしい問題作、ジェシー・ケラーマンの『駄作』については、「一連のなめらかな動きで」相手を「ひざまずいて苦しげにえずか」せるような作品だといえば、気の合うひとはわかってくれるような気がする。

 この小説では、とにかくありえないことが起こりすぎる。しかし、それは起こるべくして起こる、いや起こるべき必然として起こされたものだ。小説で起こるべきことが、作者を取り巻く世界に発生し、さらにその上位には作者と呼ばれる神がいる。

 

……小説を書くというのは、まったく手ごわいことなのだ。多くの人は本を生産物として扱い、工場でオートメーションの巨大な機械によって作り出されると信じているらしい。プフェファコーンはもっと道理をわきまえていた。本は人間によって作られる。人間は不完全なものだ。その不完全さのゆえに、その本は読む価値のあるものになる。完璧ではないものを紙に書きとめる行為にはパワーが必要で、それは結局、書いた本人に返ってきて、自分を高めてくれる。本というのはしなやかな機械で、それをつくった人間を神に変える。信じがたいけれど、日々そういうことが起きている。
 書くというのは、まったく手ごわいことだとプフェファコーンは思った。そして読むことというのは、さらに手に負えない。ありのままに――堂々と――思いやりを持って、恐れることなく――読んでいる人などいるのだろうか? そんなことができるのか? さまざまな理解のしかたがあり、言葉と意味のあいだには大きな空白が生じる。誤って注がれた同情のせいで、小説の本質から果てしなくかけ離れてしまうこともあるだろう。

ジェシー・ケラーマン,『駄作』

 

この世界が作りものでしかない確信が小説をほんとうに作りものにしてしまうような気がした。書かれた全てを真にうけて読書できるものが他ならぬ作者自身だけならば 、それはとてもかなしい。

主人公プフェファコーンは、何が起こっても驚かなくなる。

それは現実も、小説も、等価にありえる世界のひとつだという確信を、かれ自身が持ったからだとおもった。