カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


文学、ということばを躊躇いなく使いたい

福田ミチロウさんとSkypeで話しているとき、同人誌をつくりましょうって話にほとんど悪ノリで発展して、友だちの宇野公平さんや佐川恭一さんにも声をかけて原稿を集めた。いい作品が集まったなーってなって、澤雪さんに巻末解説をお願いしたら快諾してもらえてすごくうれしかった。きのう、勢いで表紙とか本文レイアウトとか考えて試作した。そのうち印刷所をさがさないとなーってあせる。抽選がまだだけど、11月の東京である文フリに出品予定ですので、みなさん、同人誌「らくせん」をおねがいします。そのうち、どんな本かこのブログでも紹介します。


ぼくは1年前に書いた長い小説を掲載することにして、3月くらいに必要があって改稿しているとき、これはダメだな、とおもっていた場所が、今回読み直したら一番良かってびっくりした。いまのぼくじゃとても書けない文章というか、じぶんが書いたとはおもえなかった。26歳のぼくは、すごくがんばっていたんだとおもった。書いていたときのことが思い出されてつらくなった。


あのとき、ぼくはいまよりもずっとプロになりたかった。もう研究者としてのキャリアはありえないと絶望して、科学にしろ小説にしろ、じぶんの考えることがだれかのなにかの役に立つみたいなこともありえないっていう確信があった。それでもぼくはじぶんが考えるあれやこれが、じぶんがいなくても絶対に存在してしまっているという確信もあって、それをどうしても形にしたかったんだとおもう。ぼくはずっと、文学、ということばをつかうことに抵抗があって、仲のいい友だちが人生かけて文学を研究をしているというのに、ぼくの浅はかな妄言を、とてもかれの営みと同列にみなせるなんてありえなかった。でも、ぼくの思考や、ぼくの思考をはるかに超えたものを形にしたいっていう欲求は、きっと、ぼくはぼくの営みを文学と呼びたかったんだとおもう。書かれてしまった散文は、文学、と呼ばれなければ生きていけないような気がして、ぼくの考えたものがぼくでない生を生きるためには、それが文学と呼ばれなければいけない、だからあのときどうしてもプロになりたかったんだとおもう。

また、文学と呼ばれる程度の強度がなければならない気がして、こわかった。書き上げて27歳になり、その冬に26歳のぼくはプロになれなかったことを知り、研究者の道も完全におりてしまった。じぶんのやってきたことを科学にできず、そして書いてきたものを文学とすら呼ぶことができなかった。大学を出るとき、もうぼくにどんな気力も残っていなかった。文章は書き続けたけど、すべて捨ててしまってひとつとして形にできていない。

27歳のぼくは26歳のぼくに全然追いつけなくて、それはきっと、いまのじぶんがあのときほど強くプロになろう、じぶんの書くものを文学と呼びたい、とおもえていないからのような気がする。文学ってなんなのか、散々いっておいてよくわからないのだけど、きっと、散文を書く瞬間や読む瞬間がその場だけの一過的なものを超え、永続的な幸福として存在してはじめて現れる、ひとであるかぎり理解しえないもの、な気がする。ひと、という枠組みを超えていく強さがなければ、あらゆる考察や批評の対象にはなりえない気がする。ぼくは26歳のとき、言語や記録そのものになりたかった。もういちど、そうおもえるようになりたい。本を読み続けてきて不幸になったなんて、いいたくない。

本を読むのはつらい。小説をかくのはひたすら苦しい。

しかし、文学がひとをしあわせにすることはない気がするけど、それでも、あのころやいまに本を読んでいてほんとうによかった、と思わせる程度には価値があると、ぼくはこれから信じたい。