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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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PSYCHO-PASS サイコパス ~「法」という機械、「裁き」という演算

アニメ 科学

 

テレビアニメ「サイコパス2」、劇場版サイコパスを観ました

嫁氏が土曜日に「劇場版PSYCHO-PASSサイコパス」を観にいきたいといい、大慌てでテレビシリーズ2期を観た。といっても、残り3話が観れていない、といった感じだったので夕方に観終わって、レイトショーで映画を観た。映画はおもしろかったのだけれども、映画は狡噛さんがカッコいいだけで男子のぼくとしてはそこまで響かない。狡噛さんカッコいい!以外にコメントしづらい感ありです。

それはそれとして、テレビシリーズ2期「PSYCHO-PASS サイコパス2」に関して思うところがありました。

 

 

 

※以下の文章は「PSYCHO-PASS サイコパス」シリーズのネタバレを含みます。

 

 

 

忙しい人のためのサイコパスの世界

法律とは、諸個人の行動の間の「結びつき(couplings)」を調節して、われわれが正義と呼ぶところのものが履行され、また紛争が避けられるか、少なくとも裁定されうるようにするプロセス(手順・方法)である。したがって、法律の理論と実践は二組の問題を含んでいる。すなわち、その一般目的およびその正義の概念の問題と、これらの正義が実行されうるようにするための技術の問題とである。

ノーバート・ウィーナー,「人間機械論」

 

 サイコパスの世界は、「シビュラシステム」というものによってひとの心を数値化することが可能になった世界だ。それによって、個人の最適な提案(取るべき食事、就くべき職業、結婚すべき他者)がなされ、不確定要素の多い意思決定などをひとでなくシビュラが引き受ける。意思決定を何らかのものに引き渡すということは、選択の余地がなくなることに等しく、それは支配になる。

そして、それが顕著に表れるのは罪を犯した人間を裁く瞬間にある。この世界には法廷が存在しない。シビュラにより計算される「犯罪係数」という数値でもってある人間の危険度を測定し、規定値を超えると「潜在犯」として社会から隔離される、あるいは最悪の場合容赦なく殺害される。
シビュラというブラックボックスが、人間の営みのすべてを管理している。そんな世界。法、社会システムというのは絶対的な正義なのか――そういう問いが全編に満ちている。

 

シビュラシステムというチューリングマシン

つまりシビュラシステムという機械によって個人の善悪がなんらかの演算によって決められる、ということなのだけれども、法というもの自体が機械的な性質を持っている。法律に関しては全然詳しくないのだけれども、ようするに簡単にいってしまえば
「Aという対象をBという方法を使って○か×かを判定する」
ということだろう。そうしたら、「裁き」は演算に他ならないし、「法」は関数に他ならない。

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   図1 「AをBをつかって○か×かに分ける」という演算

 

図1のBが人間であるかシビュラであるか、そうことはこの段階ではまったく問題ではないような気がする。ただ、シビュラというのが計算機であるのならば、この構造が出来上がった時点で先天的に以下の図2のような問題が生じる:

 

f:id:bibibi-sasa-1205:20150113000703p:plain

   図2 シビュラシステムとチューリングの停止問題


計算科学の父(≠乳)といわれるアラン・チューリングは、
「計算Aに誤りがあるかないかを判別する計算Bは存在しない」
ということを数学的に証明してみせた。これは停止問題と呼ばれるもので、この証明にあたってチューリングは「あるプログラムAに対し、それ自身であるプログラムAを入力する」という図2のようなことをした(本編中ではこの問題を「全能者のパラドクス」として言及している)。
でもこのこと自体、裁く、という演算を行うのが人間だろうが機械だろうが関係がない。だから「解けない問題」が生じたとき、その計算機をアップデートしていかないといけない(学習、という話になる。となると人工知能とかの話になりそうだから今日はやめておきます)。だから、「判例」というのが不可欠になる。

そしてサイコパスにおける朱ちゃんとシビュラの対立は、この判例をめぐるものがきっかけとなる。でも、システムの先天的な問題上、起こるべくして起こってしまう対立、というのはさらに上位の「何者」かがちらついちゃう。このアニメ2期があんまり好きじゃなかった原因は主にここだったりする。

 

システムと人間

その判例、というのが「免罪体質者」である。
シビュラシステムといのは、いってみればこの「判例」の寄せ集めそのもので構成されている。判例が出るたびにそれを自らの内に取り込み、自律的に成長する。つまり、人間そのものを必要としていないのだ。それに対し、朱ちゃんはシビュラの○×を人間の手によって決めたい(図4)。

 

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       図3 ぼくの朱ちゃんの理想

 

図3って、「シビュラ」を「法」に変えたら民主主義だよねー感ある。
「シビュラ v.s. 朱ちゃん」は
「独裁主義 v.s. 民主主義」
みたいな感じもする(あくまでたとえ)。
たしかに、
「Aというものを入力すれば意味Bを出力する」
という計算は、その一意性の高さゆえに暴力的な感じがしないでもない(なんとなくね!)
それに対して「もうちょい揺らぎみたいなの持ってもいいんじゃないの」みたいなの、求める気持ちワカル。その揺らぎを自由とかなんとか耳触りのいい言葉にはいくらでもできそうだけど、それがもし尊いのならば、機械の一意性と等しく尊いのだとぼくはおもう。
あと、こういうのって
「古典物理学 v.s. 量子力学」
みたいな感じもあるよね。

 

アニメとしての感想

先に、感想を言うと、なんだろう、「おもしろい」か「おもしろくない」かで答えるならば間違いなくおもしろいのだけれど、それでも微妙といわざるを得ない。なんだろう、この感覚。攻殻機動隊ARISEを観たときとまったく同じ感じがする……っておもったら、共通点は「冲方丁」だった。天地明察とかも書いてたなぁ。なんか優等生感がすごくあった。
あと、コメントしなかった「集合的サイコパス」に関して、持ち上がるべくして持ち上がった順当な問題とは思いつつ、なんか内容がすっからかんな印象を受けた。カムイを作りたかっただけ感あるし、カムイ自身、カムイの過去はすごくおもしろかったのだけど、なんというか、ガッツリ固い論理で設定があるお話にしては、「集団としての個」みたいな問題自体がスッカスカな印象がした。


ぶっとんだのが観たい。
別にエロとかグロとかいらないから、もうほんと、カブトボーグみたいなのが観たい。

 

 

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