カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

発売翌日の2017年5月29日現在Amazonランキング「日本文学」部門で第3位!

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


ききたい声だけをきいてい生きたいので、都合のいい耳栓を売ってくれませんか、ボーナス払いで。

「いつかやめる仕事だから、いまやめるの」

そういってぼくより三か月先に入社したNくんが会社をやめた。このことはいまから半年前、ぼくがいちばん仕事が嫌いだった時期によくかれの口からきいた。Nくんは厳密にはまだやめていないけれど、いまはもう有給消化にはいっていて最終出社も終わった。最後に一度ごはんでも、といっていたけれど、ついにいけずじまいだった。きょうかれの姿を見なかったことを思い出していた本屋さんで現代詩手帳7月号を買って帰った。

いつも出勤しながらおもうけど、なんだか運動場をぐるぐる走らされている気分になって、たとえば学校だったら3年なり4年なりの終わりの時間が見えていたけれど、会社だとそれがみえない。何年ここにいるかなんて想定のないまま毎日会社にいくのがその違いなんだとおもった。10年以上前はここに3年いるんだ!ここに4年いるんだ!っていう大なり小なりの覚悟的なものがあったから、その期間を終えられたのかもしれなくて、会社員だと(どんなかたちであれ)いつかやめることは最初からわかっているけれど、それがいつなのかがまったくわからないのが、いちばんきついことなのかもしれない。どんな仕事とか、どんな条件で働くとか、もちろんそういうことは大事だけれど、ぼくはそれなりに好きな仕事でそれなりにいい条件だとしても、きっと長く続けられない気がした。やめていったNくんも、きっとそういう考え方なんだろう。かれは次になにをするか決めてないといっていた。海外にいきたいなーって笑っていた。おつかれさまです。まだ、いえてない。

 

 

「悲鳴ははれやかに疾走しなければならない」

 

川田絢音詩集 (現代詩文庫)

川田絢音詩集 (現代詩文庫)

 

 

※引用(川田絢音,「空の時間」)

さいきん、詩のことをぼんやりと考える。

ぼんやり考える、ということはつまりなにもわかっていない状態ということで、いままで詩というものをわかったことなど一度もなくて、ぼくのいった、考える、はほんとうは、おもう、といったほうがずっと近いだろう。詩がわからない、というのは「鑑賞」できなというわけじゃなくて、その「価値」をぼくなりの正しさを確かに持ったうえで評価する術を持たない、ということ。そういうことを考えると、作品をなんらかの(明確な)論理にかけることははたして重要なのかっていうお決まり(!?)の自問自答が浮上してくるのだけど、やっぱりぼくは、わからないなりにも「確信」がほしい。

川田絢音を読んだ。

川田絢音という詩人をしったのはジュンク堂の本棚がはじめてだったけれど、さいしょの詩集である「空の時間」を読んで、とんでもなく素晴らしいな、とおもった。買って、読んで、やっぱり素晴らしかったのだけれども、なにがどう素晴らしかったかいえない。素晴らしい、というのはなんとなくじぶん自身の身体にはとうてい抱えきれない、って感覚があるのだけれど、具体的ななにかを彼女の詩集についていうことができなくて、これじゃあ単に好きだってことと、なにも変わらないじゃないか!といきどおっている。そう、ぷんぷん、である。

じぶんで「すばらしい!」と直感したものを、全力で信頼したい。それを得るには、じぶん自身で論理を持たなければならないんだとおもう。たとえそれが一般性に欠けるものであっても、それに触れる瞬間、世界よりも正しい正しさが欲しい。

 

 

ブログ名を

「カプリスのかたちをしたアラベスク」

へ変更しました。

これはまえにやっていたブログの名前なのだけど、そのときに書いていたようなことを、やっぱり書きたいなーってかんじになったので、そうしました。