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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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読書の秋らしいので、最近読んだ小説やマンガについての感想

読書 マンガ 日記

ごぶさたしております。

まちゃひこです。ここ2ヶ月ほどブログを更新できていないのに、アクセス数が増加傾向にあって驚いていたのですが、そういえば読書の秋なんですね。むかし書いた、「おすすめ作家15人」の記事を読んでいただけているようで、うれしいです。ちょっとした参考にしていただけると幸いでございます。

さいきんあったことも、いろいろ書きたいのですが体力が続かなくて、次の日にはその日考えていたことをぜんぶ忘れている!みたいなことになってます。

 

2015年になってからというもの、読書量はがっつり落ちました。

たとえじぶんで小説を書けなくても、読書量だけは落としたくない…!とおもって、通勤の電車とか営業の待機時間とか時間を見つけては本を開くようにしてはいたのですが、どうも頭にはいってこない。脳みそがものを考えることを拒絶しちゃう、みたいな。そう自覚すると、ますます本を開くことすら辛くなるのですが、なんでしょうね、忙殺というほどの忙しさではないとはおもうのですが、忙殺されるとはこんな感じで内面的に窒息していくことなのかなぁ、なんておもったりしました。

 

9月に読んだ本たち

9月は比較的軽い本を中心によみました。いろいろ勉強したいことがあって、ほんとうはもっとゴリゴリしたやつをよみたいのですが、そのためのリハビリみたいな。

 

 

オルフェオ(リチャード・パワーズ)

オルフェオ

オルフェオ

 

あらすじをいえば、

「前衛音楽をたくさん作曲してきた主人公が、遺伝子を使った作曲を試みる。しかし、その行為にバイオテロ容疑をかけられ、逃亡と追憶の旅に出る」

みたいなかんじだ。科学と音楽の小説を書かせたらパワーズ以上の作家はいないとおもう、というのも、かれの「音楽を書く」「科学を書く」という行為には、それぞれ音楽であり科学であり、その分野の歴史という巨大な文脈をすべて継承しようとする意思がある。とくに、音楽を題材とした物語は安易な感傷にながれやすく、正直、パワーズの小説じたいもそのようにかんじられる部分がないわけではないけれど、個人の感傷という非常にちっぽけなものを、人類の歴史という巨大なものに瞬間的にでも同期させられるのは、稀有なことだとおもった。

 

 

 僕たちがやりました(金城宗幸、荒木光)

僕たちがやりました(1)

僕たちがやりました(1)

 

平凡な男子高校生が、向かいのヤンキー高校の学生にからまれ、復讐としてのおもいついた悪ふざけが、大惨事になってしまうお話。第1巻ではその「大惨事」が起こるまでのながれ。ストーリーの大筋もおもしろいけれど、空疎な10代の言動のリアリティがすごい好き。「空疎なリアル」×「信じられない大惨事」のミスマッチ感に期待。

 

 

ひきだしにテラリウム(九井諒子)

ひきだしにテラリウム

ひきだしにテラリウム

 

 いま話題の「ダンジョン飯」のひとの短編集。

「この世界じゃない世界を、この世界だとよべる短編集」だと、ぼくはブックメーターでいったけれど、そういう確信をもったみじかい感想だけを持てる本を読めるというのは、おおきな喜びだとおもう。

 

 

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス(滝口悠生)

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

 

「あらゆる時間や空間を、いま、ここ、として書くことはむずかしくて、エピソードを語ることじたいが過去化された事象しか扱えないのかもしれない。しかし、常に、いま、ここ、であるもの、いやむしろそうでしかいられないものは音だ。語られるすべてのエピソードを、語り手の肉声を音にしようとした小説に感じた」 とブックメーターには書いた。しかし、こういう問題意識は、この作家のこの作品に特化したものじゃないようなきがする。某作家が芥川賞の選考会で、「最近は時間フリークな作品が多い」と苦言を呈していたけれども、そのきもちがなんとなくわかる。時間にたいする問題意識が、きまった形の小説を「多数の作家に書かせている」という印象をどうしても受けちゃう。

 

 

血と暴力の国(コーマック・マッカーシー)

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

 

 

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

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小説も映画も高い評価を受けている、マッカーシーの作品。

マッカーシーは、いわゆる「ハードボイルド」な物語の描き方をする。ひとの内面の描写というのはほとんどされない、けれどもそれはひとの内面というものが存在しないものだということにはならない。…とはいえ、かれの書き方では、やはり人間に対して世界が圧倒的に優位にたっているようにかんじられる。かれにとって、文体はもはや世界そのものだ。世界じたいがなんらかの意思を持ち、その意思に対して人間はなんどでも敗北する。ある意味で、人間は世界にとって歯車のひとつでしかないかもしれない、しかし、その歯車の軋りにこそ「物語」があるのかもしれない。

 

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