カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


実用からとおい場所のこと

六月末で仕事をやめることにした。

次のことは考えていない。

この話をだしたのは十一月くらいで、三十五くらいまでに実家の方に帰るから、逆算すると、大阪じゃない場所での転職先をそろそろ探さないといけないとか、そういうことを理由にした。上司たちはもやもやしていた。理由じたいはウソではなかった。ぼくはほんとうに三十五までに実家のほうに帰るつもりでいる。

会社員として、営業として働いてみようとおもったのは、いままでと真逆の生き方をしたいためだったし、そうすることでいままで考えられなかったことが考えられるようになるだろう、となんとなく期待してのことだった。じっさいに会社員であることを経験して、ぼくは給料に執着するようになった。お金は大切だと心の底からおもった。この点はとてもびっくりした。給料分の働き、というのをとても考えるようになった。すると仕事を微妙に手を抜いたりすることも増えた。給料分なのだから、給料分なのだから、とおもっていた。

 

 

* 

 

経験とは、得るものばかりなのか。

そんなことをやめることが決まってからよく考える。

むかし小説や音楽や科学にたいしておもったり考えたりしていたことの質をみれば、いまのぼくがそれらにたいしておもったり考えたりすることの質は著しくひくい。ひくい、というよりも、そもそもそれらになにかをおもうことはあっても、考える、という次元で接することができなくなっている。それがぼくにとって、大きな苦痛だった。会社員として働くことで獲得した経済感覚は、かつてぼくがもっていたものにくらべてあまりにもちっぽけで、くだらないものでしかないようにおもえる。ぼくは会社員という経験をとおして、経験により失ってしまったもののほうが、はるかに大切だった。

 

 

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 

職場で、仕事に関係のある本を読めと上司にいわれた。好きな本を読むなとはいわないけれども、仕事での発想を広げるような、ためになる本を読めといわれた。そのとき、ぼくはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいた。上巻だった。

結局のところ、人生の時間のどれだけをなにに割くべきかという判断は、意識的であれ無意識的であれ、個々の自由になる。そんなことをいってしまえば正直元も子もないのだけれど、ぼくがいまの会社という組織に属してつくづくかんじたのは、詩や小説というものを軽く見て、科学というものを無視するという、暗黙のルールで檻をはっているということだった。ぼくは詩や小説、科学が絶対的にえらいという気はない。しかし、それでも会社、とくに営業職という場において、かれらが振りかざす「人間力」ということばにおいて、詩や小説、科学といったものは、ひとつの嗜好以外にありえなかった。仕事に仕事以外のものを要求するとかそういう話じゃなく、根本的に、人当たりのよさであり、コミュニケーション能力なるものを「人間力」として定義づけているかれらのつくった環境で、詩や小説や科学が、鈍磨し、磨滅していく感覚にぼくは正直耐えられない。しかし、それはある意味でそれらの本が現在良い売上を記録できていないということの理由にほかならないのだとおもう。

詩や小説や科学に、ひとはなにも求めていないのだ。

 

 

会社員は楽だ。直感的にそうおもう。

じぶん自身を機能化しさえすれば、安定した収入が得られるし、世の中のたいていの仕事はとくべつな技術なんて要求されない。必要だとしても、それなりの期間のトレーニングでたいていは身につけられる。じぶん自身が会社員という服を着て、それにそれじたいになりきり、質素倹約にくらせばなにも困ることはない。実用に特化した生き方を選べば、大きな不運がない限り困ることはないとおもう。

ただ、なんとない違和感であり、居心地の悪さというものは、実用というものから外れた場所からのささやきなのだとぼくはおもった。ぼく自身が会社員としてそれなりにがんばって働くなか、犠牲にしなければならなかったのは実用からもっとも遠く離れたものたちだった。行き場のない表現欲であったり、ひとの身体を離れたものへの思考が、実用的な「人間力」に次々と殺されていく。お金がほしい、とおもった。こういう力学構造を根本から変えてしまえるものは、お金なんだとおもった。

 

 

仲の良い会社のひとがきのう遊びに来て、子どもをつれて近くの公園で花見をした。

あたたかくてよかった。

今日は、嫁氏がかのじょの会社の同期とランチへいった。

子どもはぼくのとなりでとてもよく眠っている。

最近はよく指を吸う。