カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

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「現象」と「印象」は一致しない

不幸というものについてまじめに考えたことがない、ということをテレビを観ながらおもった。深夜の、ブラマヨかだれかがMCをしているトークバラエティが打ち切られ、熊本の地震の緊急速報になった。

 

東北地方のおおきな地震があったときは

淡路島の実家にちょうどもどっていて、テレビで押し寄せてくる津波の映像を何度か見た後、関空からアメリカにいった。学会だった。会場ではそのとき、きみの家は大丈夫か?みたいなことを、何人かのアメリカ人やら中国人やらインド人やらに聞かれたけれど、あれは日本の東側で、うちは西側だからだいじょうぶなんです、とこたえた。そうか、と外国のひとはいった。外国のひとと話すと、「身内」というもののスケール感がどうもおかしくなることがあるけれど(わかりやすい例はオリンピックで特に関心のない種目であっても日本代表を熱心に応援してしまうアレ)、しかしあの地震が話題にのぼったとき、どうにもそれが現実に起こったこととして、なにかをいったりおもったりすることができなかった。すごく冷たい言い方をすると、対岸の火事、という感覚以上にどうしてもならない。宮城県出身の友だちに電話したりすると、かれの実家はお皿が一枚も割れなかったといった。となりの町では、たくさんの家がつぶれたそうだった。

 

 

しかし、ぼく自身が被災者だった阪神大震災であっても、

この「対岸の火事」的な感覚というものを小学生ながら感じていたようにおもう。水がとまったとか、電気がどうだったとか、学校が何日休みになったとか、そういうことをはっきり思い出せない。震災のときどうだったか、みたいなことで憶えているのは、両親とぼくと姉が寝ていた裏座敷がかなり深刻なダメージをうけたこと、母屋が半壊判定をうけたこと、倉庫がひとつ全壊したこと、ガレージが居間に改装されてそれから3年くらいそこでごはんを食べたこと、学校が再開すると全国各地からいろんなものがとどいたこと、沖縄から届いたサトウキビをどうしたらいいのかわからなくて友だちと一緒に一生懸命歯でかみちぎろうとしたこと、友だちの平松君の庭に建った仮設住宅を本気でかっこいいとおもったこと、通学路にできた凸凹が車を通れなくして秘密基地をつくりやすくしてくれたこと、双子の山本君たちが鹿児島の学校へ転校していったことぐらいだった。

山本君たちの転校はいちばんかなしかった、しかしそれ以外のことについて、すくなくとも震源地の真上に位置しながらも死者をひとりもださなかったぼくの町のぼくの生活で、かなしみらしいかなしみを感じることも、不幸らしい不幸にみまわれることもなかった。あとで知った話だけれど、震災前のぼくの両親と祖父母のあいだではいっこうに実行されない新築計画の話が繰り返されていたようで、母屋が半壊判定を受けてから、一家は新築を建てることを向こう数年の目標としてとりあえずの団結をみたとのことだった。新築ができてそれから2年経って、震災の爪痕が人為的に隠されたり生い茂った雑草のなかに溶け込んでいき、ぼくがまもなく中学を卒業するころ、おじいちゃんが肺がんで死んだ。

 

「現象」と「印象」は一致しない

好きだったり大切だったりするひとが目の前からいなくなるとき、これまでかならず泣いてしまっている。しかし歳をとるにつれて、地震という災害であり、離別や死といったひととの別れが、かならずしもかなしみや不幸といったものと一致するわけではない、というようなことをおもった。

ぼく自身がふかくかなしんだり傷ついたりしたとおもえる大きな経験がない、なんていってしまえばそれまでだ。じっさいにそうかもしれない。でも、なんというか自然現象と個人が持つ印象というのは、直結するものではないような気がする。大災害に曝され、住む場所を完全になくすということは圧倒的にわかりやすい「不幸」におもえる、が、やはり「おもえる」という強さの一段上にはけっしていかない。

観測しうる変化を「現象」と呼び、そう呼べないもののことを「印象」と呼んでみる。

そうしたとき、これまでどれだけ生きてきたとか、そういう個人の時間に依存するのは「印象」ばかりで、「現象」は存在しうるすべてにとって平等にあるという強さをもっている。変わらないもの、というより、変わりえないもの、という強さを持つものがすなわち「現象」なのだ。

あのころ、ガレージが家になったりしたころはとにかく家にお金がないことをおさないなりに理解はしていたけれども、山本君たちが鹿児島へいってしまった以外のすべては総じて楽しかったようにおもう。あのころは無知だった、しあわせとかふしあわせとか、そういうものすらろくすっぽおもったり考えたりしたこともなかったから、アスファルトがひび割れ、惨殺された犬の内蔵みたいに土がめくれ上がった道路からこぼれているのを見ても、かなしくもつらくもなかった。じぶんの不幸についてすら、きっと共感できない子どもだっただろうし、無知で形作られた子どもっていうものはきっとそういうものなんだろうともおもう。

ぼくは不幸に共感したくない。

絶対的で圧倒的に存在してしまう「現象」に対して、他人の「印象」を刷り込まれるくらいなら無知でいるほうがいい。そんなことをおもった。

 

「阪神大震災」全記録―M7.2直撃

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