カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

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営業さんと複雑系の関係、現場とマーケット、砂粒と砂山のあいだ

読書についておもうことといえば、

会社だと

「仕事の役に立つ本を読め」

とよくいわれるけれど、大学院生だったときに指導教官によくいわれていたことはこの逆で、

「研究テーマからとおいところにある本を読みなさい」

ということだった。

これはぼくに関してのことでいえば、実はどちらもおなじことをいっているんだって、嫁氏から指摘を受けた。あんたは好きなことは勝手に勉強するけれども、興味がないことはなにも勉強しようとしない。あんたは科学や人文学に関しての好奇心は強い、でも社会とか経済、政治の話になると中学生レベルのことしか知らない。興味を広く持っておけ、という点では両者はおなじことだよ。

そういわれてしまえばそれまでで、ぼくは反論のしようがないし反論する意味もない。なるほど、と認めるけれど、しかし社会のこと、経済のこと、政治のことを真面目に勉強しようとする気は起きず、会話を切り上げるといつもと変わらない本を読みはじめてしまう。ちょうど、複雑系に関する本をいくつか読んでいた。

ぱらぱらとページをめくっていると、

ふと会社でのことをおもいだした。

いちおう営業マンということもあって、パレート分析みたいなことをしたりもするのだけど、そのなかでいつもぼくはビジネスマン(あくまでぼくの所属している会社であり、同業であり、関与しているメーカーのひとたちに限られるのだけれど)というひとたちは統計というものに対して無知すぎるんじゃないかとおもってしまう。

マーケットの現状を把握するうえでも適切な統計データを整理・解析することよりも経験からの感覚値に頼ることが多く、そういうやり方がもうダメなんじゃないかっていうところまできているのに対し、リスクを覚悟してでも定量的なマーケット分析を行おうとする意思もない。そういうことを上司に一度いったことは実はあるのだけれど、それをやったところでどれだけの利益を見込めるかを答えられるか、とかえされ、ぼくは黙った。経営的にもっともな意見だけれど、やっぱりぼくはもやもやしてしまう。

それはともかく、メーカー側もデータベース構築に関してちょくちょく広報は「ビックデータ(笑)」というバズワードとともにぼくらにおろしてくれはする。しかし、現場のぼくらが見れるものといえば、効果相場の正規分布がいいところで、分析という分析がなされていないものでしかない。そしていつもかれらは「机上の空論」ということばでもって理論家を卑下する。

「大学で学問なんて教えなくていい。大学では最低限の社会の常識とか、業務遂行するうえでのホスピタリティを身につけてほしい」

とかいうひとも多かったりするのは、いわゆるビジネスマンという人種(以下「ビジネス糞野郎」)がそういう潜在意識を持っているというひとつのあらわれなようにおもう、というぼくの意見もまた個人的な経験からくる偏見でしかないのだけれど。

 

 

複雑系と営業の仕事

営業マンひとりあたり数100くらいの顧客に対して物を売る仕事をしていると、どうしても 複雑系の話が頭にちらついてしまう。具体的には以下のような本の内容だ。

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

 

 

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

 

複雑系についてのWikipediaの解説は以下のようにある:

複雑系(ふくざつけい、: complex system)とは、相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう[1]

[1] Joslyn, C. and Rocha, L. (2000). Towards semiotic agent-based models of socio-technical organizations, Proc. AI, Simulation and Planning in High Autonomy Systems (AIS 2000) Conference, Tucson, Arizona, pp. 70-79.

複雑系 - Wikipedia

ビジネスのどういうところに複雑系を感じるかといえば、個々に違った環境にさらされている顧客群に対して、ある統計を取れば数学的構造が得られるだろうという直感がなんとなくあるからである。ぼくの職に関してなにか具体的なことをいうのはちょっとアレなのだけど、例をあげるならば、「弊社との取引額 V.S. 取引会社の利益」みたいなものがそれにあたる。上にあげた「べき乗則」の本がまさにそういう話をしていて、地震や金融危機、戦争、種の絶滅などといったものの発生頻度や規模には数学的特徴が見られるということがかかれている。

※この本の原題は「UBIQUITY」、直訳すると「偏在」になる。「歴史は〜」と題された邦訳はなんとなく語弊がありそう。

しかし、不特定多数の膨大な情報下にさらされた(=複雑な環境にある)事象についてなにかを考えるにあたって、「べき乗則に従う」いう結果だけを抽出したところで実はなんの役にも立たない。こういう話をビジネス糞野郎に話したりするとおきまりの「机上の空論(笑)」が間違いなくかえってくるのだけれども、はっきりいって、数学モデルが完全に未来を予知できるとか、そういう観点でものを見る理論家なんていない。未来予知はいってしまえば物理の究極的な目的にあるのだろうけれど、簡素な数学モデルを使った思考実験は「無視できる条件とそうでない条件はなにか」をあぶり出すことにこそ価値がある。

 

砂粒と砂山

たとえばこの分野での有名な実験でこういうものがある:

机の上に砂粒をひとつずつ落としていく。

やがて砂粒は砂山を作り、それが雪崩を起こす。

雪崩の規模や発生回数にはどんな特徴があるか?

大雑把にいうと、砂粒同士の相互作用を決めさえすれば、このシミュレーションを行うことじたいは難しくなく、そしてもちろん数学的構造が見られるという結果になる。簡素なモデルが一般の事象を示すことができたとき、そのモデルに組み込まれた条件には普遍的な何かがあって、そうでなければ見落としてはいけないなにかを見落としてしまったと考える。しかし、この数学的構造はあくまで対象を砂山としたときに見られるものであり、ある瞬間における砂粒ひとつの挙動に対するものじゃない。

経験と勘を何よりも信じるひとと理論家のすれ違いはこういったところにあらわれるのだろう。けれど、この場合は両者の歩み寄りがないというよりは、片方が一方的に拒絶することによって起こりがちだ。この無理解を示すひとは、顧客を集団でなく個としてみることが多いためか集団的特徴に対して極端に信頼しない。

……とまぁ、ほとんど愚痴になってしまうとはいえ、ビジネスパーソン(笑)たる者、この「砂粒」と「砂山」の区別ができるだけの分別は持っておくべきだとおもう。だいたい、統計が読めなかったり、データ分析をろくに知りもしないひとに限って「ビックデータ(笑)」っていうことばを嬉しそうに使ったりするのは、見ていて結構恥ずかしい。

 

愚痴をもう少しだけ。

働いていて、なんというか、こういった統計とか複雑系とか、そういうことをもう少し自由に考えられるともっとたのしかっただろうな〜なんてよくおもうけれど、こういう話に理解が得られないことは多い。

「勉強ができたってそれだけでしょ?」

というひとは、なんかすごい損してるなってよくおもう。

 

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