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カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

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アニメ「甲鉄城のカバネリ」最終回感想/ゾンビみたいなアニメ

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※このエントリーにはアニメ「甲鉄城のカバネリ」と小説「ジニのパズル」の内容に関する言及が含まれます。

 

7月になって、まだ4月アニメをじゅうぶんに消化しきれていないのに新しいアニメが始まってしまって、録画設定に忙しい。忙しいっていってもその作業のほとんどは嫁氏がやってくれるから、ぼくがすることといえば録画リストに漏れがないかをチェックするくらいだけれど。息子氏には歯が生えてきて、かれは唾液をぶくぶくと泡立てる毎日だった。

うちは夫婦ともアニメが好きで、でも好みはそれぞれにちがっている。たとえは、ぼくは少年漫画系のアニメ(ハイキューとか)はほとんど見ないし、嫁は主要キャラのうち50%が女の子であるアニメを決して見ない。だから、夏アニメのリストからはRewriteがきのうのきのうまで漏れていて危なかった、正直、keyや麻枝准の系譜(Rewriteは麻枝准じゃないけど)にはもう期待していない。それでもやっぱり、カノンやクラナドのようなものを求めてしまうじぶんがいて、どこかkeyには期待を捨てきれない。

 

甲鉄城のカバネリについて

春アニメでぼくと妻が両方とも見ていたもので「甲鉄城のカバネリ(以下カバネリ)」がある。4月の時点では圧倒的な作画力と作り込まれた世界観に今期で一番期待した作品だったけれど、終わってみると決して評価できるものとは感じられなかった。

このことには、ぼく自身が驚いた。作画が素晴らしくて、世界観も強く持っていてい、キャラクターも立っていて、おもしろくない要素なんてありえない。え、これおもんないって言ってるのぼくだけじゃない?とおもったけど、妻にきいてみると、あれはダメだよって言っていた。なんでとか、なにがとか、そんなんじゃなくてダメだ。

 

カバネリは、何かが少しずつ何かに似てしまっている。

それは主にWIT STUDIOが過去に制作に携わってきた「進撃の巨人」や「屍者の帝国」であったりはするんだけど、過去作に似ているということが、今回ぼくがカバネリを低く評価したことにはあまり関係がない。

 

カバネリを高く評価できない理由は

「世界よりも主人公の方が強くなってしまったこと」だ。

話は変わるが、この前友だちとツイキャスで芥川賞候補作の批評をしていて、「ジニのパズル」という作品に対してはこれが論点になった。ジニのパズルでは、テポドンが発射され、在日朝鮮人の主人公が理不尽に辱められるといったシーンがあり、友だちはそうすることにより「小説において右翼を絶対の悪にしてしまった」というところをどうしても評価できないといった。

これは政治的、あるいは友だちの感情的な立場からくる指摘ではない。作品内での力学に関する指摘になる。世界と私がある。世界に対して私が無視できる程度に取るに足らない存在であるから様々な立場や考え方が共存できるのに、それを許さない強さを登場人物が「主人公である」という理由だけでそれが得られてしまうことは、単に作品内の物語を完結させるための妥協でしかない。

そしてカバネリでは、登場人物は刃の矛先をやたら決めたがる。特に「何の罪もない人」が次々に理不尽に命を落とすシーンを見せつけ、善悪、特に悪を決めつけたがることについて、ぼくはどうしても許せなかった。はやい話、善悪についてたいして何も思想を持たず「どう見てもこいつ悪いでしょ?」というような奴を終盤に登場させて何とか完結させました感が、ものすごくある。物語を物語にするために、生駒の善悪観が、カバネがうじゃうじゃ理不尽に現れる世界観よりも優位に立ってしまった。特に美馬が登場してから、この作品からは妙な不気味さを感じる。もう、なんというか不自然なくらい薄っぺらい。(このモヤモヤを誰か本当にわかってほしい…)

 

大体の面で良作でしかありえない要素をクリアしているのに、そこからは何も感じられない、なんだか、過去作の評価が高い点を継ぎ合わせて作ったゾンビみたいなアニメだった。過去作に似ているからじゃなく、「視聴者に人気が高そうな要素を積極的に取り入れる」みたいなことがあんまりよくな方向で出ちゃったんんじゃないのっておもう。

なんというか、

「何が正しくて、何が信じられるかわからないから、みんな共通の敵を持ちたがる」

と言われれば、いまはそういう時代なのかもしれないけど(棒読)。