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カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が5月中旬くらいに発売されます。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しました。

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まだライフハックで消耗してるの?

きのうもすこしだけブログに書いたけれども、仕事をやめた。

仕事をやめたら可燃性の高いライフハックネタを書いてバチバチに燃やしてアクセス稼ぐのがブロガー魂なのだろうけれど、ぼくはそういうことをするつもりはないから、なんでやめたとか、やめてどうするのとか、そういうデーヴィッド・カパーフィールド式のくだんないあれこれをここに書くつもりはない。ただそれはぼく個人や、嫁や子どものこととか、どこにでもあるようなしょーもない理由だ。 

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

 ただ、ひとついいたいことは、別に仕事が嫌いでやめたわけじゃないということ。

そりゃもちろん、働いているときは月曜日がいやだったり、上司をバスタブに入れて燃やしたくなったり、ヤカラ同然のお客さんに対し殺意の波動に目覚めたりもした。みなし残業40時間で、インセンティブの規定も無理ゲー状態で、

キツい×帰れない×稼げない

ということに関しては常々文句をたれていた。だけど、まぁ何やってもこんなもんだなってぼくはおもっていたから大丈夫だった。働くのがキツいのは当たり前で、そもそも金をもらっている。勤めていた会社のひとたちとは良好な関係のまま退職ができた。

 

 

博士号をとらずに大学院を出ると決めたとき、

そもそも会社に就職するという発想がなかった。いや、さすがにそれはいいすぎで、すでに結婚をしていたので、とりあえず収入を安定させるためには会社に入らなくちゃ的な危機感がめちゃくちゃあった。理系出身だったということもあり、就職活動ではメーカーをいくつか受けて、研究所や工場の見学、管理職の人との会食とかをしていた。そして現場のひとから「まちゃひこ君は採用するから」と言われつつ、人事部の人に「専門が合わないので採用は見送らせていただきます」的なことをいわれる博士の就活にありがちなことを経験するなか(※これはぼくが就活時に博士論文を書かないと決めていたせいで起こった事態です。ぼくが100%悪い)、そもそもあまり興味を持ちきれずにいた技術系の仕事にますます興味がなくなって、どうしようかなっておもっているなか、とある文芸誌の編集者と会うことになった。

もう結構前のことだし、そしてその編集者とはお酒を飲みながら話していたのもあって、何を話したのかはあんまりおぼえていない。主に話したことはぼくの小説がむずかしすぎる、使われている技法の必然性がわからない、何が言いたいのかわからない、コンセプトが弱い、とかそういうダメ出しだった。そして、ぼくの進路の話であり、その編集者の方も理系出身(修士卒)だといっていて、どうして研究を続けないのかという話になった。

ぼくはじぶんが研究者にならない人生を選ぶことを、D2の時にアメリカに留学するまでおもいもしなかった。つまり、アメリカに行ったときに、じぶんが研究者にならないということを確信した。実力とか生活とか、そういう現実的な問題もあったが、一番の理由はじぶんの研究分野に対し、明るい未来をおもいえがけなかったということだった。じぶんの研究分野のことを知れば知るほど、世界最先端の研究が分野全体を揺るがす大きな理論の発見を意図するものではなく、細部の、論文の数を確保するためだけにあるような特異な系における実験やシミュレーションばかりで、その手法も良くない意味で「まっとう」すぎると感じてしまった。研究者になりたいと漠然とおもいはじめた高校生のとき、ぼくはボルツマンという研究者が好きだった。

ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け

ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け

 

ボルツマンは統計力学の基礎を作り上げた研究者として有名で、そして激しい論争に疲れ、ついには自殺してしまったことでも有名だった。かれの提唱した統計力学の考え方は、原子ひとつひとつの動きを無数の運動方程式を解くことで物理現象を考察するのではなく、ひとつの集団と見ることで微視的現象に対し確率的な処理を導入するという発想を得たものだ。しかし、かれの物理を証明するためには、原子の存在を立証する必要があった。かれの死後、それはアインシュタインによってなされる。それがブラウン運動の論文だった。

「我々が欲しいのはボーアやディラクじゃなくて、アインシュタインなんです」

と編集者はいった。我々が欲しているのは、破綻のない、気の利いた小説を書いていくれるひとなんかじゃない、だれも考えたことのないようなことを考えるひとだ、秀才じゃなくて天才なんだ、とかれはいった。そしてぼくが研究者、科学者に対して求めていたもの、そして自分自身に対して求めていたものもそれとおなじだった。だけどぼくは天才じゃなく、秀才でもなかった。ぼくにとっての天才はボルツマンで、かれにとってボルツマンが天才にあたるのかは知らない、けれど身を置いた学術の世界には生きている天才は見当たらなかった。そしてじぶん自身がその天才になれる見込みなんてまったくない、実際、対して経験もない素人同然の学生が、いまの研究分野に対してアップアップになっていると感じている時点で、じぶんには一生に無理だと確信した。だからぼくは研究をもうしない、といった。

「だったら、一番できないことをやればいいんじゃないか」

といわれたのはその時だった。その場で一番できなさそうなことを考えたら、営業がおもいついた。ひととしゃべるのはあんまり好きじゃないし、物を売る努力をするなんて絶対にありえない。一番できないことをできれば、あとは何をやっても生きていけるだろうなっていう確信が漠然とあって、そこからはあまり悩むこともなく、営業職に絞って就活をして、一番最初に内定が出たところに入社することにした。

 

やりたいことをする人生が正しいとはおもわない 

さいきんにはじまったことじゃないけれど、なんだかサラリーマンをdisるようなブログであったりツイートであったりをよく見る。そして人生一度だけなんだから、若いんだから、というのを打ち出し、「雇用される」という立場の惨めさをいたずらに語ったり、人間関係を短絡的な利害のみで切り捨てたりすることを良しとする文章をたくさんみる。この前に同期に送別会をしてもらったとき、

「おれはやめるにもしたいことがない、あるとしたら二度寝くらい」

というやつがいて、それに他の同期も同調していた。たしかに十代のとき、サラリーマンなんてやりたいこともないひとがなんとなく働いて生きていくためにやるもんだと思っていた、でもじっさいサラリーマンをやってみて、その「生きていく」の尊さを知った。当然うちの嫁のようにしたい仕事がサラリーマンだからできるというひともいるけれど、特に好きでも嫌いでもない仕事をすることを「消耗」と呼ぶことはどうなのだろう、少しでも楽に生きようとして、ささいな辛さをバカみたいに増幅させた暴言を吐き散らすことを惨めだとはぼくはおもわない。

ぼくは好きでも嫌いでもない、ただひたすら向いていない仕事をするなかで何度も考えたことがある。もしぼくが科学なんて好きじゃなければ、もしぼくが文学をしたいだなんておもわなければ、ずっと楽で快適な人生を送れたんじゃないか。好きなことを好きなようにやるよろこびと同じくらい、嫌いなこと、苦手なことで成果がでた時はうれしい。そして、苦手なことができないことよりもはるかに、じぶんが一生かけてでもやり抜きたいことがどうしてもできないことの方がつらい。いまのじぶんにとってのぜったいが、この先ずっとかわらずにぜったいであり続ける保証なんてない。

あらゆる角度から「やりたいこと」という強迫観念が押し寄せ、それに急かされるように「ぜったい」を誤認しちゃいけない、それに「ぜったい」なんてだれにでもあるものじゃない。じぶんの「ぜったい」を他人に押し付け、じぶんの「ぜったい」でひとを傷つけ、じぶんの「ぜったい」を守るためだけに虚勢を張っている方がどうかしているとおもう。「ぜったい」を確信することは、ほとんど「あきらめ」にちかい。世の中で言われているような、ポジティブで華やかで、希望に満ちたものなんかじゃない。

 

すくなくとも、サラリーマンはたのしかった。

 

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