カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

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【感想】ボストン美術館所蔵「俺たちの国芳 わたしの国貞」@神戸市博物館

※本展は「館内の写真撮影とネットへの掲載」が認められています。

 

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歌川国芳,「荷宝蔵壁のむだ書」の拡大写真 江戸時代にも相合傘ってあったのね

 

8月から育児休業を終えて職場復帰する嫁氏から、平日のどこかで家族で遊びに行きたいと渡されたのが「俺たちの国芳 わたしの国貞」展のチラシだった。嫁氏は展覧会をそこまで好んでいくタイプのひとではないのだけれど、かといって絵を見ることに好きも嫌いもなく、問いはしていないけれどもし訪ねたとしても、嫌いだと答えるような理由はないとおもう。それにうちから神戸市博物館に行くまでのあいだにはたくさんのポケストップがある。生まれてまだやっと半年経ったばかりの子どもがいるぼくらにとって、ポケモンGOのプレイは容易ではなかった。ぼくは子どもを抱き、嫁氏の手を引いて博物館まで行った。

 

19世紀の後半から20世紀の初頭を生きたウィリアム・スタージス・ビゲローは、7年間の日本滞在時に私財をはたいて買い集めた大量の浮世絵をボストン美術館へ寄付したという。日本の美術に魅せられたかれはボストンへの帰郷したのち、医師としての仕事を放棄し日本美術の収集に人生を捧げることとなったのだが、かれのコレクションで群を抜いて多かったものが、後期浮世絵文化を支えた歌川派の絵師、国芳と国貞の作品だったという。この「国芳国貞展」のはじまりはそこであるとされていた。

 

 

大衆文化にフォーカスした展示

展覧会のコンセプトは一貫して「江戸後期という時代」ならびに「風俗」に絞られていて、ほんらい画家の名前が掲げられるような展覧会では、その画家の生い立ちであり略歴、生きざまなどが語られるのだけれども、この展覧会はそれがないという点で異質だったように感じた。

大衆の文化が栄えるのは世に乱れが出たときである、という中学時代の社会の授業で松田先生から聞いたことが脳裏をよぎる。松田先生がその話をしたのは室町文化の解説のところだった。室町幕府の安泰期である3代将軍義満の時代にきらびやかな金閣寺が建てられたのは贅を尽くした貴族文化の象徴であり、財政的な問題が表面化し応仁の乱を招いた8代将軍義政の時代には「わびさび」を基調とした一変して質素な作りとなって成熟した。そして時代は戦国へ突入し、日本が分断され、地域ごとの自立が高まるにつれ、幕府に向いていた金の流れが地方都市に分配される形になる。そうやって、大衆の文化の発達が促される。

戦国が終わり、太平といわれた江戸時代のなか、葛飾北斎や歌川広重と同時代を生きた歌川国芳・歌川国貞らの時代では、大塩平八郎が乱を起こし、天保の改革がはじまり、そして黒船がやってきて鎖国に終わりが訪れた。世の大きな乱れが起こったが、それは奇しくも欧米へ大量の浮世絵が流出する機会も作り、ゴンクールが収集に熱を出し、ゴッホやゴーギャンがエキゾチックな色彩と構図に魅せられることになった。

なんらかの拘束がなければ創造など生じない。

そういうことをたしか村上春樹がいっていたとおもう。苦痛による精神の拘束から自由を見出そうとする運動が実存主義を生み、四季の移ろいが日本人の感性に季節感をもたらし、俳句の素朴で短いリズムが語と語の跳躍を生み、ぼくらは眠らなければならないから夢を見てしまう。

テイザンによれば、北斎の特徴とは、要するに日本人に共通する特徴と欠点である。すなわち、事物に対して、常にその善良な方面のみを見ようとする。余りに了解しやすい諧謔と辛辣すぎる諷刺とを喜ぶ。未来に対しては、運命論者のように考慮も心配もほとんどしない。祭礼と芝居とに夢中である。貧乏なので質素に耐えているが、少しでも実入りがあると直ちに浪費する癖がある。道徳においては常に中庸を重んじ極端に走ることを恐れる。事物の根本的性質を探求する前に、その外形から判断して皮相応的心理状態に満足する。よって万事において全く理想的傾向がない。日々平常の生活難に追われて現実の感情から離脱することはないが、またその中に日本人元来の風流心を発露させている。−−以上のことから見れば、北斎の思想は根本において庶民的であり、写実的であるというべきだ。

永井荷風,「現代語訳ヨーロッパ人の見た葛飾北斎と喜多川歌麿:ジャポニズムと印象派から見た浮世絵」

 

ひとつの画面に物語をつくる

展示された国芳・国貞の作品は流行小説の挿画や、歌舞伎のワンシーン、人気役者のブロマイドなどで構成されていた。そしてそれらは芸術としての鑑賞を促すというよりは、むしろ描かれている絵の周辺にある物語を楽しむことを促しているように思えた。

ひとつは1枚の絵の中に高密度な物語を見事に描いた歌川国芳「木曽街道六十九次之内妻籠 安倍保名 葛葉狐」である。

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歌川国芳,「木曽街道六十九次之内妻籠 安倍保名 葛葉狐」

婚約者を亡くした保名が助けた白狐が、恩返しにその婚約者の妹「葛葉姫」に化けて悲しみにくれる保名を癒す。そしてふたりは結婚し子を授かるのだが、ご本人(葛葉姫)が登場し、夫と子の前から去っていく。もとはそんな物語だ。

人物が画面中央に配置されることはなく、葛葉姫の姿を捨て、信太の森へと帰る狐が画面から退場するように描かれ、残されたふたりは画面右から狐に視線を送り、子は母の裾を引く。そして空間も「襖の奥(保名)」「室内(妻と子)」「信太の森(葛の葉の形をした吹き出し)」に分割でき、絵画という表現形態では通常描き出せない描写対象の時間発展(=物語)を描出している。

 

江戸時代に見られた「オタク文化」?

また、歌舞伎役者たちの楽屋裏を描いた作品にもこのような「物語」の描出が見られる。

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歌川国貞,「大坂道頓堀芝居楽屋之図」

こちらでは作品世界を離れ、五代目松本幸四郎などの生身の人間としての役者が描かれている。このような作品から抽出したキャラクターや演者にフォーカスし、それ自体に小さな物語を見出すような行為は、ポップカルチャー、あるいは今日の日本のオタク文化に近いものを感じずにはいられない。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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