カプリスのかたちをしたアラベスク

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めちゃイケに山本が出たこと。

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(2016.7.31 追記)

不祥事があったときにスッキリで加藤が泣きながら号泣していてから10年、今日極楽とんぼとしてめちゃイケに出ていた。動けるデブ。

その内容は、山本がこの10年のことを多くのひとに謝罪するという内容だった。

めちゃイケは節々で「テレビ文化」について言及する企画を放映するなあとおもっていて、今回はテレビ文化というわけではないけれど、「テレビに出る」ということについてずいぶん示唆的だった。というか、

「社会的に許されてない人間がテレビに出ちゃいけねーんだよ」

という加藤のことばにそこに集約されていた、山本がテレビに出るというのが主題じゃない、あくまでテレビを放送するという行為の裏側を物語化したものだった。

テレビは良くも悪くも過剰に物語でありすぎる。

めちゃイケメンバーにしろ、スタッフにしろ、そして極楽とんぼにしろ、あらゆるものをひとつの高い強度の物語にまとめあげようとしすぎていて、たしかに山本圭壱の謝罪はあってしかるべきとはおもうのだけど、その一方で(テレビ業界に限らず)日本という国は謝罪の意を美化しすぎではないかとおもえてしまう。

そして、謝罪によりひととの絆を描くやりかたは、あきらかに子どもに向けられたものではなく、おとなのためのものだ。

まだ小学生だったころからめちゃイケはたくさん見てきたけれど、なんだかここ10年ほどは「大人であること」を意識しているなあとおもった。

バラエティ番組は子どもであることのよろこびであって、夢を描いたようなものだった。けれども、バラエティは「大人であること」が扇情的なものとして、ひたすらな現実を扱っている。

しかしながらロンドンブーツの田村淳が泣いているのには、ぼくも眼頭が熱くなってしまった。

 

 

Twitterであった反応

とても同意したのが以下のツイート。

 

  

やっぱりはめちゃイケは好き。

加藤の「お前のこといくら蹴っても苦情なんてこねぇんだよ!」

がおもしろかった。全国ライブの成功を願ってます。

油谷さんをもう一度見たい!

 

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