カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


【感想】トマス・ピンチョンの「像を結ばない世界」/映画「インヒアレント・ヴァイス(ポール・トーマス・アンダーソン監督)」

※このエントリーは映画「インヒアレント・ヴァイス」のネタバレを含みます。

 

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慣らし保育3日目は、おひるごはんを保育所で食べるところまでで、いままでずっといろんなひとに愛想を振りまいていた息子うぇい太郎だったけれど、おひるごはんはいつもより食べるのに苦戦しているようだった。

保育所とうちの離乳食だとたべものの粒の大きさや味がちがうのだけれど、たぶんまだ味覚もそんなに発達していないし、食べもののすりつぶし方云々というよりも、まわりにいろんなひとがいるという環境のほうに落ち着かなかったのかなぁとおもっていた。となりに座っていた男の子は、うぇい太郎とおなじ日に生まれたってことを、その子のおかあさんとの会話のなかで知った。かれはうぇい太郎よりもはやいペースでごはんをぱくぱく食べていたけれど、ふだんから哺乳瓶でミルクを飲むことができないらしかった。きょうもがんばってトライしてみたものの、口に人口の乳首をふくむとすぐに泣きだした。うぇい太郎はミルクをぐびぐびのんで、飲みきる前におなかがいっぱいになって、そのまま眠ってしまった。

 

家に帰ってきてもうぇい太郎はぐっすり眠っていて、そのあいだに映画「インヒアレント・ヴァイス」をみた。

インヒアレント・ヴァイス [Blu-ray]

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ぼくがとても影響をうけた作家トマス・ピンチョンの小説が原作で、監督は「マグノリア」で有名なポール・トーマス・アンダーソンだった。

ピンチョンらしさにしっかりフォーカスした、よい映画だとおもった。

以下、この映画の感想と、ピンチョン作品について、考えたことを書く。

 

 

インヒアレント・ヴァイスについて

1970年ロサンゼルス。私立探偵のドックは突然やって来た元カノのシャスタから、不動産王「ミッキー・ウルフマン」についての調査を依頼される。すると直後にウルフマンとシャスタは失踪してしまう。依頼された調査を切り口に死んだはずの男が生きていること、謎の船「黄金の牙」、くされ縁の警官ビッグフットの過去など、様々な謎が謎を呼ぶ。

雑多な人物とエピソードが本筋をそっちのけで次々にやってくるピンチョン作品のなかでも、かなり道筋が「わかりやすい」作品であるものの、やはり物語らしい物語が不在である印象はある。じっさい、ウルフマンと出会い、しれっとシャスタは戻ってくる場面があるけれど、そこには「あっけないエピソードの終わり」以外の意味を与えられず、終始「解決すべき問題」というものが宙吊りにされたような不穏さがのこる。

ピンチョンの特徴はここにある。

かれの文章は低俗だっり、くだらないジョークが頻繁に現れ、一見してコミカルな作風ではあるけれど、それはピンチョンの道化的な側面にすぎない。一過的におもわれる数々のエピソードが堆積していくにつれ、その重さに全体という大きな物語が瓦解し、エピソードの断片性が強調される。しかし、あくまで「ひとつの作品」という風に(たとえばこの「インヒアレント・ヴァイス」という作品でもそうなのだけれど)提示されることにより、ぼくらはそのエピソードに特徴を見出そうとしてしまう。しかし、それがいっこうに像を結ばない。ここがピンチョンの「難解さ」であり「不穏さ」で、作中に幾度となくかわされる軽薄なジョークもまた、空虚感となる。カフカの「城」に似ているのかもしれない、とぼくはおもう。

城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

 

さて、この映画ではピンチョンのこの「不穏さ」がかなり強調されているように感じた。もちろん、ドックはどこか間抜けで軽薄な人間として描かれているけれども、派手さが控えられた音楽演出や、小説の地の文にあたるナレーションの効果的な挿入によりそうなされたように感じられた。

 

「統計的な作家」としてのトマス・ピンチョン

ぼくは統計の概念を説明するときに、いつも温度の話をする。

温度とは、ある領域に多数存在する原子集団の平均的な運動を意味する物理量だ。便利なことに、原子集団は安定した状態であればその統計分布の形はマクスウェル分布というものになる。それを踏まえると、とたえば原子1個に温度計をぶっ刺したとして、そこに現れた数字にどんな意味があるだろうか?

この原子ひとつをエピソードに温度を小説に置き換えたときに現れるのがピンチョンという作家だ。ピンチョンの小説ではエピソードのひとつひとつはエピソード以外のなにものでもなく、小説的意味を直接的には与えられない。与えられるのは全体をなすひとつのパーツである(かもしれない)という可能性であるけれども、しかし肝心の「小説そのもの」は小説で姿を現さない。

それゆえに、すべてのエピソードが小説という「全体」を暴くためのメタファと読む強迫観念が生まれ、そのことはかれの作品群で一貫して「パラノイア」ということばで言及されている。

そしてピンチョンが描く「小説」は大きくわけてふたつあった。

ひとつは「20世紀」という広大な世界。

デビュー作「V.」や現代文学の金字塔「重力の虹」などがそれにあたる。 

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

 
V.〈下〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

V.〈下〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[上] (Thomas Pynchon Complete Collection)

 
トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)

トマス・ピンチョン全小説 重力の虹[下] (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

そしてもうひとつが「アメリカ」という国についてである。

こっちは「競売ナンバー49の叫び」「ヴァインランド」「インヒアレント・ヴァイス(LAヴァイス)」などが挙げられる。

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)

 

 

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

とくに「重力の虹」からおよそ20年の断絶を経て発表された「ヴァインランド」以降の作品には後者の色が強く感じられる。科学の専門用語やオカルト、歴史といった多岐に渡る雑多な知識で構成されていたかれの作品に、スターウォーズなどのアメリカポップカルチャーのネタが姿を見せるようになった。

こう書いてはいるものの、恥ずかしながらぼく自身もピンチョン作品をまだすべては読めていない(一番長い作品である「逆光」、未訳の「ブリーディング・エッジ」)。

作中で描かれるエピソードは現実とのリンクをますます強め、具体的であるはずなのに、小説としては依然として抽象性の霧のなかにある。

エピソードが語られるほど、つまり世界という強大で茫漠な謎について多くのヒントが与えらるほど、パラノイアが強められてしまう。

そんなもの、あるかどうかも分からないというのに。

 

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