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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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仕事に対しての「やりがい」という第二義的なものが独り歩きする件

日記 ライフハック

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図:営業マンの酷使 こうやって営業マンはつぶれていくよ!

 

会社をやめて1ヶ月が経って、なんとかその経験とうまい具合の距離をとれるようになってきた気がする。

別に会社は嫌でやめたわけではないし、職場の人間関係も比較的良好(狭いコミュニティならではのしょうもないいざこざはもちろんあったけれど)ではあったし、仕事内容も「楽しいと感じはじめた」段階ではあった。それでもやめた理由は、

「子どもの世話をだれがみるのか問題」

「別に一生やる仕事でもない」

「この待遇で働くなら自分でなにか始めた方がマシ」

「個人的にやっておきたいたいことがあった」

などなどあった。

 

きのう、こんな記事を読んだ。

www.onecareer.jp

 

こういう話は「元も子もない」話にはなるのだけれど、みんながあの手この手で視界から外そうとしてきたことのようにかんじた。その話を会社員時代のことを思い出しながらしようとおもう。

 

 

他の世代に比べて「優秀」といわれていた同期

前職はうぇいうぇいした広告代理店で、まぁどこの営業職にもありがちな「数字」というキツさがあった。そのせいか、社員の平均年齢は20代後半とかなり若くて、新卒は基本的に1年以内に4割~6割ぐらいやめる。そういうところに勤めていた。

で、うちの同期(みんな基本的にぼくより5歳年下)は最初の1年でたしか13人中2人しかやめなかったという点で「優秀」といわれた。やめないし、営業成績も極端にわるいことはないから、使いやすいっていうことだとおもう。使いやすいってなんだ。

で、今年の6月にぼくともうひとりがやめることになって、その送別会を同期でしてくれたのだけれど、そしたらまぁだいたい「仕事はダルい」「だけど転職はもっとダルい」「とくにやりたいこととかない」が出てくる。仕事嫌すぎて公務員試験の勉強をなんとなくしてる、とかいうギャグもあった。

(ちなみにぼくの経験では、20代中ごろは転職の話、30歳前後はマイホームの話題がやたら多くなる傾向にある気がする)

じつはこれ、入社当初のまだ研修ばっかりだったときからいってることは変わらなくて、まぁ営業職なんて現場に放り出されてから最初の1ヶ月でいろんな新人が心をボッキボキに折られていくものだけど、そこで「やめる・やめない」の差はなんなのだろう。

それを考えたときにとても重要になるのが、熊谷さんのいっている「仕事ダルいよ?」とおもう。営業職ならもう受注が取れなさ過ぎて死にたくなるのは、だれもが通る道だ。ぼくはそこにプラスして「理不尽な詰め」があって、両手から蕁麻疹が止まらなくなったりした。「精神的につらい」「なんでこんなキツいことせなあかんの」ということにはやっぱりグッと耐えなくちゃならないところがあるような気がするけれど、その1歩先にある「仕事をやめる」という選択に行きつくきっかけになるのが、「仕事のやりがい」という、熊谷さんのいう<相対的な価値観>を持ってしまっているかどうかになるとおもう。

業務の内容、目標の達成、社会へのインパクト……。そういうものに期待していたひとほど、いざつらい目にあったときの失望はでかい。魔法少女が魔女になるくらいの落差だろうし、そうおもうとそりゃ仕事やめるでしょってなる。

たぶん、ぼくの同期って少しだけ他の世代よりも「仕事(会社)というものに期待していなかった」だけなのかもしれない。

欲しいのは給料だけであっても、それに付随するとされる「成長」や「出会い」みたいなものをじぶんの経験から論理的に持っていなければならないっていう強迫観念は、おそらく就活生の幻想のような気がする。

働くことにネガティブな感情を持つことが、なんだか無条件の悪におもえちゃうってあるよね。

 

「スーパースターはいりません」

じっさい、新卒採用の仕事をやっていたひとに話を聞いてみると採用方針は、

「スーパースターはいりません」

といっていた。給料分の働きを平均的にこなしてくれるひとがいると助かるし、変に個性的なやつが来て、教育の手間がかかって先輩社員が鬼残業するハメになり、教育担当も新人も両方つぶれたらもう最悪どころじゃない、みたいな。

前職は中小企業だったけれど、たぶん「個人主義」みたいな考え方を推奨したり「ライフハッカー」的な意識の高いひとたちがおもっている以上に、「個性的な新人を採用する」というのは会社側のコストがでかい。ちゃんと教育すればいいじゃんって話にもなるだろうけれど、その教育にもとんでもなく時間と手間がかかる(繁忙期に営業未経験の中途社員の教育を任されたことがあるけれど物理的に無理だったし、その子をずいぶんと成績面で悩ませてしまった)。

そして「個性的な新人」を採用できるかできないかっていのは、その会社がどのように収入を得ているのかにもよる。一概にはいえないけれど、メーカーと専属代理店契約して販売している会社だと、売上目標とかもメーカーから降りてきたものが目安になる。企業的な余裕というのは、おそらく「独自メディアを持っていて」かつ「それが軌道に乗っている」みたいなかんじで、経営方針をほぼ100%自社の判断で決めることができるっていうことなんじゃないかとおもった。

「スーパースターはいりません」的な採用方針は、ぼくは結構現実的だとおもうし、なによりも「個性的でなければならない」という強迫観念を就活生に与えないという点でいいとおもう。「働くこと」と「やりがい」はできるだけ切り離したほうが、いろんなひとにとって健康的だ。

 

ただ、「社会に出たらおもしろい人間がわんさかいる」みたいにぼくが学生生活中に知らないおじさんたちからいわれ続けたことはいったいなんだったんだろうって、最近はよくおもうのだった。

 

 

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