カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

また同レーベルより発売中のアンソロジー
「ヒドゥン・オーサーズ」

にも短編を寄稿しています。
この本は新潮社が発行している雑誌「波 2017年7月号」で
王様のブランチでおなじみの書評家・滝井朝世さんにも取り上げていただいています。


【感想】映画「君の名は。」(新海誠監督)/骨太な物語、世界の恣意とささやかな反抗

※このエントリーには映画「君の名は。」のネタバレを含むレビューです。まだ見ていないひとはあとで読んでいただければ幸いです。

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以前、新海誠監督の作品について好き放題いったばかりなのだけれど、新作「君の名は。」を恥ずかしげもなく(!?)公開初日に見てきた。

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新海誠監督について、ぼくは好きなところは好きだけれども、好きになれないところがどうもゆるせなくて、上述のエントリーではそのことについて書いた。

ざっくりと要約してしまうと、「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」では、すでに映像として語られてしまっている「機微」を、なぜか映像に対しはるかに力量の劣っていることばで書き直してしまっている、というものだった。想像はしていたけれど、いろんなひとに怒られた。

 

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頂いた反論のなかでは、

「新海作品は視聴者の恋愛経験に呼応して初めて作品として完結するのであり、それがないひとにとってはただの綺麗な絵でしかない」

というものもあった。もちろん、そういう見方もあるし、そのように物語に寄り添って感動するというたのしみは素晴らしいとおもう。ぶっちゃけ、そうできるならぼくもしたい。

新海作品はそういう個人的な経験ありきでたのしむものかと言い切られても困る、というのがぼくの本音で、個人的な経験や感傷について特に何もおもわない、どんな形であっても時間とともに美化されるような恋愛に一切の興味を持たないひとが、新海誠の作品を見て「ただの美しい絵」で終わるなんてことはない。

ぼくは新海誠作品のいわゆる「エモい」部分に対してはなにもいえない。

ただ、かれの作品に対する「徹底」は本当に素晴らしいとおもうし、新作「君の名は。」は期待を超える良作だと素直に感じた。

というわけで、以下ではネタバレを含むけれど、作品の感想を書いていきたいとおもう。

 

 

骨太な物語を軸とした上質なエンターテイメント

今回の作品はおよそ2時間(106分)にわたる、新海誠作品で最長のものだった。

物語は、飛騨地方の田舎町「糸守町」に住む女子高生みつはと、東京に住む男子高校生の滝(苗字じゃなくて名前)が、ある日から突然中身が断続的に入れ替わってしまい、互いを認知するようになるという物語だ。そして、物語はみつはと滝の入れ替わりがなくなった時から大きく動き出し、そこで滝は入れ替わっていたみつはは3年前にじぶんと同い年だった女の子だと知り、そして彼女の住む「糸守町」は3年前に1200年ぶりに訪れた彗星のかけらによって消されてしまったということも知る。みつはは、3年前に死んでいた。滝は、3年前の「糸守町」のみつはに戻り、みつはと町のひとを死なない世界に変えようとする。

田舎と都会、多数配置された生き生きとしたキャラクター、1200年ぶりに飛来する彗星、そして神話的な設定を施された「糸守町」など、さまざまに緻密に作られた設定は何より「時間のねじれ」に集中へと指向されていて、従来多くあったモノローグが控えられ、数多の表現はすべて物語に対して献身的だ。どれかの要素が特別秀でているなどではなく、どの要素もすべて高水準で仕上げられている。それは「優等生的」と言えば皮肉に聞こえてしまうけれど、「話題性」や「インパクト」ではなく、純粋に「物語を楽しむ」ことに注力されているからこその「バランスの良さ」で、今回、ぼくはこの点がすごく良かったと思った。素朴に「おもしろい!」といえてしまうことが、この作品の長所だとおもった。あとみつはのおっぱい。

 

かたちのないものに「かたちを与える」

骨太な物語を作品の主軸に据えたことで、これまで新海誠の「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」とは大きなちがいが見られたのも興味深かった。

作品に対してモノローグがとても少なくなり(まだおセンチ感がうざいけど従来よりだいぶマシ)、そのなかでもとりわけ「目に見えない、概念や感情」がことばでなく、物として描かれていた。この作品でのそういったものはすべて「糸守町」というかたちをしている。この世界とここでない世界の境界を「カタワレ時」や雲よりも高い場所にある「御神体」、時間を飛び越えてしまう概念は時を経て酒となる「口噛み酒」というかたちに作って見せた。映像が担いすぎていて、そしてことばでは空を切るばかりだったものたちを、具体的なものとして提示することは物語の奥行きを与えるだけでなく、これまで新海作品に不要だった(と、おもわれる)ものをごっそり削ぎ落とした。

結果、新海誠作品で特に感じていた「描写を上塗りすることば」がほとんど見られなかった。

 

「世界」の恣意

きのう、偶然見たテレビでやっていた新海誠監督のインタビューで、光を主軸とした映像作りのことが語られていた。

新海誠監督の作る映像は、過剰なまでに観察的・写実的であるようにおもわれるけれど、どこかこの世界ではない場所のようにかんじられる幻想を持っている。その仕掛けにあるのが「光」であり、具体的には、シーンによっては「太陽の光が2か所から降り注ぐ」ように作っているという。興味深いことは、特定のシーンにいるあるキャラクターに光を当てたり、あるいは影のなかに入れたりするために、新海誠は表現において「キャラクターではなく、世界の方を変化させる」という作品作りだった。こここそが、新海誠の詩情がもっとも豊かに現れている個性だとぼくはおもう。

映像の技巧的な立場からの世界はそのようにあり、同様に物語と世界の関係も見てみると、突然ふたりが入れ替わるという最初の設定にしかり、彗星の飛来、入れ替わったことや入れ替わった相手のこと、みつはのおっぱいを強制的に忘れさせられること……そういう「ご都合主義」とも捉えかねない世界側の都合にみつはと滝は終始さらされている。みつはと滝は世界の都合で楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、生きたり死んだりする。本来ならば出会うことはおろか、互いに認知するはずのなかったふたりが、いい加減な世界の恣意により、本来であればぜったいに知りえなかったことを知り、ぜったいに抱くことのなかった感情を抱き、それゆえにふたりは世界に翻弄される。

そうおもうと、作中で表面化した「時間のねじれ」は、ふたりが抱く世界への怒りがもたらしたものだったのかもしれない。過剰なまでに世界がふたりへ関与してしまうことが、「ふたりが世界を変える」という物語を導いた。時として太陽がふたつになり、3年前の彗星が現在の感情を引き裂いてしまうこの物語は、感情に着地したところでほんとうの解決を見ない、むしろ、世界がふたりにもたらした「現象」というありかたで、ふたりは世界にむくいらなければならなかった。そういう切実や、切迫を後半にとても感じてすごく良かった。

 

ラストシーンについて

みつはが町長である父と邂逅する場面が来て、その後、滝は現代で意識を取り戻す。そしてすべてを忘れて、スーパー賢者タイムに突入、そのまま5年後の世界になる。

この流れでぼくはこんなこというべきじゃないのだけれど、ここから最後までの10分、ぼくは本当に落胆した。

まんま、秒速おセンチメートルみたいな展開かよ…とどうしてもおもってしまう。ここに関して、何にも頭を使わずに見たらどうしてもそうおもってしまう。山崎まさよしでも流しときゃよかったんじゃない(笑)的な。

新海誠的エモがたまらんひとにはグッとくるのだろうし、ぼくの好き嫌いを度外視してもわからなくはないのだけれど、ここまでで見た「新海誠の新境地!」的なものがなんだかどーでもよくなって、涙がひっこんだ。くやしかった。おれの感動をかえせ。

  

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