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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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「共感」ということばは、ひとを騙す時にしか使わない。(村田沙耶香「コンビニ人間」についても少し)

読書

そういえばなのですが、以前「みどりの小野」さんにインタビューをしてもらいました。

 

yutoma233.hatenablog.com

 

ここでぼくはこんなことをいった。

 

ことばについて、伝えるためのツールとして特化させなきゃいけないというのは、もともとぼくがある程度確信していたものと対極にあたるのがふつうにつらいです。そもそも、じぶんであれ他人であれ、「共感・理解する」ってことに執着することで、いろんなものをそぎおとさなきゃならない。理解や共感って、おもいかえしてみると、いいかたは悪いですが「ひとを騙す」ときにしか使ったことがなかったんですよね。

【はてなブロガーズインタビュー】カプリスのかたちをしたアラベスク‐若布酒まちゃひこと不可思議な言葉たち - おのにち 

 

 処世術として

この「共感・理解」というものについてはつくづくよく考えてしまうのだけれども、これは極論をいってしまえば「処世術」だとおもっている。ことばの通り「生きるための技術」でありであってそれ以上でもそれ以下でもない。いいとか悪いとかそういう問題でもなくて、ただ純粋にそういうものでしかないのだけれど、ぼくが特に嫌悪してしまうのは、「他人と通じ合う」ということに処世術以上の価値を見出そうとする行為であったり、あるいは「他人と通じ合う」ということがいわゆる「ひととして」無批判に肯定されねばならないように意味付けされがちだということだ。

いうまでもなく、言語という体系はおそらくは人間が想像している以上に使い勝手が悪く、直接的に言い表わせるものというのはかなり限られている。ことば(単語)そのものは特定の、離散的な意味しかとることができないゴツゴツしたもので、言語が対象とするあらゆるものを正しくとらえるにはあまりにも解像度が粗い。あくまで「伝える」という観点からのみ見れば、比喩などの技巧はそのことばの隙間を埋めるようにして使われていることになるだろう。

ことばで直接表されない感覚であったり個人的なエピソードであったりするものをじぶんでない「誰か」がわかろうとするとき、その「誰か」はどの精度でわかろうとするのだろうか。そもそも完全でない言語を使って、そして言語以上に完全でない人間が、ましてや他人の感覚を100%なんの手がかりもなく正しく理解できるなんてありえない。根本的な「無理」があるにもかかわらずそれが「できる」、あるいは「しなければない」、「することが正しい」、「正義だ」という要請を受けたとき、できることといえば、感覚をパッケージ化してしまうことしかない。そしてそのパッケージ化されたことばに人間が適応していくことが、安定した社会生活を送るための処世術となる。共感や理解とは、そんなようにしてつくられたことばや人間の運動のことをいうのだとおもっている。

 

小説「コンビニ人間」の気持ち悪さ

以上のようなことを考えていたら、村田沙耶香の「コンビニ人間」をおもいだした。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

この小説はよく「主人公がヘン」といわれるけれども、おそらくそういう単純な問題じゃない。そして、評者の多くが期待するような「現代性」もこの小説には含まれていない。ここにあるのは、そもそも「共感・理解」という価値観そのものを問いただすことだとおもわれた。

 

どちらかというと白羽さんが性犯罪者寸前の人間だと思っていたので、迷惑をかけられたアルバイト女性や女性客のことも考えずに、自分の苦しみの比喩として気軽に強姦と言う言葉を使う白羽さんを、被害者意識は強いのに、自分が加害者かもしれないとは考えない思考回路なんだなあ、と思って眺めた。

村田沙耶香,「コンビニ人間」

 

この小説の文体はよく読むと複雑で、語り手はじぶんのものではない他者の思考をひたすらじぶんの語りに取り込んでいく。この社会で生きる術としてパッケージ化されたことばのなかを生きようとする。全体的にかんじる語りの不穏さはこのようにして徹底してつくられている。この場面に直面した時、果たして「狂っている」のはだれだろうか。パッケージ化された解像度の低いことばを受け入れるためにはわずかにでも残っている「そうじゃない可能性」を捨てなければならないけれども、特別でありたい人たちが求める個性はその「そうじゃない可能性」にこそある、もちろん、時代性を孕む意味を持ったことばを全て捨てて生きるのはむずかしいけれども、そういったことばを使う時に損なわれる「何か」には敏感にならないといけないとおもう。その感覚をぼくは「騙す」といった。しかし、理解や共感がほとんど脅迫的に求められてしまうことで、ぼくらはその感覚すらも失っているような気がしてならない。

 

(他の人のやつ)

「コンビニ人間」は普通の小説だった - Letter from Kyoto

『コンビニ人間』感想 世間の性差別や偏見という残酷な現実を知る - ポジ熊の人生記

【読書感想】コンビニ人間 ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

小説『コンビニ人間(村田沙耶香)』感想、書評 『普通』を際立たせるもの - 物語る亀

 

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