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カプリスのかたちをしたアラベスク

小説とか映画とかアニメとかサブカルな文芸界隈。批評未満。すぐにおセンチな気分になる。ご連絡は machahiko1205★gmail.com(★→@)まで。

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物語は人間に従属しない/小説「スプートニクの恋人」(村上春樹)

読書

 ※このエントリーは小説「スプートニクの恋人」の内容に関する言及を含みます。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

きのう、村上春樹(というよりも「ハルキスト」というもの?)についての冗談をひとつ書いたのだけれども、せっかくなので久々に村上春樹の小説を読んだ。 

 

www.waka-macha.com

 

あんまり冗談ばっかりいっていても仕方がない感じがあるので、すこしは真面目にレビューでも書こうかなっておもった。

「村上春樹の小説のわけわからない!」という感想をよくみるので、かれの小説の狂いについても書いてみる。

 

 

「村上春樹」というインパクト

村上春樹という名前は、日本で影響力が大きすぎるとおもう。

きのうも書いたことなのだけど、とにかく「村上春樹が好き」とひとことでもいおうものなら、問答無用で村上春樹原理主義者としての扱い(=迫害)を受けると相場は決まっている。まるで「この世の小説はすべて村上春樹でできている」とでも信じているみたいに決めつけられるとあまりにも分が悪いから、「ハルキが好き」というには慎重にならなくちゃいけないのが面倒くさい。

しかし、これはむしろ村上春樹という作家の影響力の大きさを表しているような気がしないでもない。

たとえば「木下古栗が好き!」といっても木下古栗原理主義者にはされないし、「リチャード・パワーズが好き!」といってもリチャード・パワーズ原理主義者にはされない。もちろん、迫害もされない。誰にとっても「小説家は無数にいる」という当たり前の事実が、「村上春樹」ということばの前では消えてしまうのだ。

このことはとても不思議に前々からおもっている。

 

「物語と向き合う」こと

きょう取り上げる小説「スプートニクの恋人」では、実は物語らしい物語が一見起こらない。僕が好きな小説家志望の女の子が恋をして、ギリシャにいって、失踪して、帰ってくる。ただそれだけのお話なのだけれども、それを「物語らしい物語」にするための因果関係がごっそり欠落している。

村上春樹の小説にはこのような「人間と物語の因果関係」(=◯◯から××が起こった)というものがなく、じぶんの知らないところでなにかが起こって、勝手に解決してしまう。これが村上春樹作品を「難解な」ものにしている大きな原因だろう。

人間と物語の因果関係がごっそり取り除かれた状態のことを「不条理」とよく呼ばれ、20世紀の文学のほとんど主流になった。その源泉にいるのがフランツ・カフカであるとされ、村上春樹もまたカフカの影響下にある作家のひとりだという。もちろん、現代の作家でカフカの影響下にないひとを探す方が難しいくらいだけれども、たとえば小説「変身」では主人公ザムザが虫になってしまったシーンから始まる。

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

「変身」のなかで重視されていることは一貫して「なぜ虫になってしまったのか」ということではなく「虫として世界をどう生きるか」だ。ここには「時に人間は物語に逆らえない」という暴力的な構図があって、それは人間がある程度の自由意志でじぶんの行く末を選べてしまう状況とは大きく異なる。ほんらい、じぶんに何が起こるかということはじぶん自身でどうにかコントロールできるものじゃないのに、ある程度決まった人生の生き方の基本モデルが確立されてしまったことで、こういった「本質的な不条理」について意識的に思考する機会というのが失われてしまっているようなきがする。

 

話を「スプートニクの恋人」に戻す。

この小説も他の多くの村上春樹作品やカフカ作品と同様に、因果関係をたどることによって「物語を理解しよう」とすればするほど、それから遠ざかっていくだろう。理由は明白で、すみれという女性が恋に落ちることも失踪することも、そしてミュウというすみれが恋をした女性が観覧車に一晩閉じ込められて「もう一人のじぶん」を見てしまうことも、実は当人たちに何か原因があったから起こったことじゃない。それどころか、究極的にはこの物語の登場人物たちが彼女たちである必要性というものは全く存在しない。カフカの「変身」でもそうだ。あれはザムザが虫になる話だけれども、主人公がザムザである必然性はどこにもない。もっと言えば、現実世界で「私が私を生きる」ということにすら必然性は存在しない。そういうことは元も子もないことなのだけど、不条理文学では実はそれを受け入れることがとても重要な意味を持つ。

「小説を書くのも、それに似ている。骨をいっぱい集めてきてどんな立派な門を作っても、それだけでは生きた小説にはならない。物語というのはある意味では、この世のものではないんだ。本当の物語にはこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる」

村上春樹,「スプートニクの恋人」

人間と物語は根本的に違う生き物なのだ。その事実を認めてしまうことで、おそらく人間ははじめて物語と向き合うことができるのだろう。

 

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www.waka-macha.com

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