カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


小説的想像力の原始/小説家・大前粟生について

このエントリーには小説「回転草」の内容についての言及が含まれます

 

創刊号で今村夏子「あひる」が芥川賞候補となり話題をあつめた文学ムック「たべるのがおそい」の2号が発売となった。

文学ムック たべるのがおそい vol.2

文学ムック たべるのがおそい vol.2

  • 作者: 金原瑞人,石川美南,宮内悠介,円城塔,やくしまるえつこ,西崎憲,穂村弘,大前粟生,津村記久子,森見登美彦,四元康祐,今橋愛,岡野大嗣,瀬戸夏子,吉野裕之,倉本さおり,中野善夫,ヤンヴァイス,アンナカヴァン,阿部賢一
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2016/10/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

創刊号では藤野可織や円城塔といった第一線で活躍する作家をはじめすばらしい作品が集まっていただけに2号もとてもたのしみにしていた。こんかい、友だちである大前粟生さんが「回転草」という短編を寄稿しているということもあって、きょうは作家「大前粟生」について書いてみたいとおもう。

まだデビューしたばかりで、あまりメディアにも取り上げられていないのだけど、これだけことば自体がもつ想像力を武器に小説をたのしめる作家は貴重なんじゃないか、とぼくはおもっている。

 

大前粟生の経歴

大前粟生さんのTwitterはこちら↓

twitter.com

GRANTA JAPAN with 早稲田文学公募プロジェクトで最優秀作に選ばれた「彼女をバスタブにいれて燃やす」で作家デビューした二十代前半のリスっぽい男の子で、好きな映画は「車とががバーンってぶっ壊れる系のやつ」とのこと。小説を書きはじめたのは「就職活動をしていた時に、働きたくないことを自覚したから」とのことですが、これはなんだかブロガーの方々のお話でなんか聞いたことがある系のソレっぽい。

こういうことを書くとブログを巡回しているライフハックに警察がやってきそうなのだけれど、かれはとにかくたくさん書くところがすごい。書く作品はほとんど400字詰め原稿用紙で20枚〜30枚くらいのものがほとんどとのことだけど、そういうものをとにかくたくさん作る。そのなかでひとつでもおもしろいものがあればしあわせ、と夏にあったときにいっていた。根っからの「書くことが好きなひと」だなぁと感心した。ぼくはといえばとにかく書くことが面倒くさいしだるいとおもうひとなのだけれど、これは見習った方がいいとおもったし、実際に別の小説を書く友だちからも見習えといわれた。

最近、彼が読んで面白かったという本がこちらです↓

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

 

大学生のころから小説を集中的に読み始めたようで、話しているとラテンとかを 中心とした海外文学が好きそうな印象だった。後述するけれど、文章もラテンなかんじをいたるところからかんじる。

 

そして第2回ブックショートアワード受賞作品「ユキの異常な体質/または僕はどれほどお金が欲しいか」はネットで無料で読むことができます。

bookshorts.jp

夏の海にあこがれた雪女のお話で、「彼女をバスタブにいれて燃やす」より物語の軸が明瞭なぶん、読みやすい小説になっている。

 

作品の特徴

大前粟生の小説をはじめて読んだとき、ぼくはセサル・アイラに似ているとおもった。

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

 

というのも、小説に使われることばのほうが世界よりも先立って存在しているようにかんじられたからだった。特にその傾向は「彼女をバスタブにいれて燃やす」の方につよく表れていて、一読してみるとなにが起こっているのかまったくおもい描けないのだけれども、ことばの意味がドロドロに溶けてほとんど文章のポップなリズムとしてしかとらえることができない。ことばの意味だけを頼りに読んでもなにかいまひとつ像を結ばない、けれども確固とした小説世界がそこにあるという手触りがとてもセサル・アイラに似ているようにかんじた。

そして、作品内で主人公たちは無自覚に生に執着している。先の2作では主人公の恋人らしき存在はいるのだけれども、彼女たちへの恋や愛のようなものよりも、主人公らは彼女たちと精神的な意味で繋がれてなどいない。

主人公たちにとって、「彼女」は主人公に「生をあたえてくれる」ように存在していて、「主人公が生きる」という文脈において彼女たちはどんなかたちであろうとも取り替え可能なものになる。

しかし主人公たちは「なぜ生きる」という問いを持たず、生きることへの疑問も自覚していない。この「生きる」ということへの執着と無自覚が混在する想像力がとても奇妙でぼくにはおもしろい。ある意味でことばが切り開く原始的なイメージになっている気がする。 

短編「回転草」について

回転草とは西部劇で風とともに荒野を駆け抜けるくるくるした枯草のことをいうのだけど、この小説の語り手はその回転草の「僕」だ。「僕」はどうやら回転草として名俳優とよばれる名誉をえていて、妻もいる。が、どうやら離婚協定のさなかにあるらしい。そして回転草はひょんなことから大学時代の演劇部の友人であるケンの家族のもとへやってくる。そのときケンによって「僕」がどうやらかつては人間であったことが明かされ、「僕」の俳優としての資質と自身のそれとの際に耐えきれず、ケンは演劇をやめてしまうという過去が語られる。

この小説でおもしろいのは、回転草になってしまった「僕」が、人間的な思考や感性をもちながらも、あくまで回転草としてふるまい、回転草的なありかたとしてケンの家族とコミュニケーションをとろうとすることだ。

そしてこれまでの大前作品と同様に、「僕」は「僕に起こること」についてのいっさいをすべて受け入れようとする。今作であれば、もともと枯れているがゆえにだれかに火をつけられない限り死ぬことはない「回転草的な生」を、「僕」は否定しない。ただ、過去作とはちがうようにかんじられたところは、無自覚な生への執着が、本能的な死への欲望のようなものとしてドライに描かれていることのようにかんじた。なにもしなければ死ぬこともない回転草的な生と、生きようとしなければ勝手に死んでしまう動物的な生が混在する終盤へと自然と運んだ筆致はとてもすばらしい。

非常にみじかい作品のなかにこのような物語を作り上げてみせたことがよんでいてなんだかうれしかったぶん、やはりみじかさにいっそう物足りなさを同時にかんじた。

今作は小説としての密度が高く、前作からおおきな飛躍をかんじた。

いずれもっと規模の大きい小説を発表して欲しい。ぼくはとても期待している。

 

※追記(2017.5.28)

大前粟生の処女短編集「のけものどもの」が発売されたようです。

いまのところ電子書籍限定ですが、短編が21作収録されているみたいです。