カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

また同レーベルより発売中のアンソロジー
「ヒドゥン・オーサーズ」

にも短編を寄稿しています。
この本は新潮社が発行している雑誌「波 2017年7月号」で
王様のブランチでおなじみの書評家・滝井朝世さんにも取り上げていただいています。


選ぶことの責任/黒石観光協会の写真コンテスト受賞取り消しについて

黒石観光協会が主催する写真コンテストで、市長賞受賞作の被写体が自殺した女生徒であるため、遺族の了解を得ているのにもかかわらず受賞取り消しとなった。

いじめ訴え死亡の中2が写る作品、授賞中止 遺族は公開 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

このニュースをしって、ぼくはとても不快になった。それは被写体になった女の子の生き死にや遺族のひとたちの感情を想像してのことではない。だから被写体となった方や彼女とちかしいひとに関することはここでは立ち入らない。ぼくがやだな、とおもったのは写真に写らない被写体の背後のものごとによって選考の結果が変わってしまうような「杜撰な」選考についてだった。

 

「選ぶ」責任、批評精神を持つこと

もともとこのコンテストは、地域のお祭りを盛り上げるためのイベントの一環であって、おそらくそこに「芸術的な」要素というのはほとんどなかったのだろう。しかし、それが地域のお祭りであれ、誉れ高い芸術賞であれ、多数の表現作品を横にならべて選ぶことにはかわりない。そしてこの件に関して、ぼくはどうしても「選ぶ」ということへの責任を持っている自覚がないようにおもえてならない。
写真であれなんであれ、表現というものはそれ単体では意味となりえない。表現が意味を得るのはその表現に触れるひとが、なんらかのことばや行動をとおした瞬間だとおもう。そしておおくのひとによって与えられたおおくの意味の総体が時間をかけて結晶化し、やがて価値とよばれることになるんだとおもう。
そのうえで「選ぶ」という行為はいわば積極的に意味を与えるという行為に等しく、そして複数の作品とならべてその意味を比較するということには、ただの鑑賞をこえた厳密さが多かれ少なかれ必要になってくる。この「厳密な意味づけ」のことを、おそらくぼくらは「批評」とよんでいる。それは積極的に表現への歩み寄りによってなされるもので、表現を作品に変える営みなんだとおもう。
作品を離れた場所にある真実によって、それこそ表現者の意図をこえた場所で作品がまったく別の意味をもってしまうこともあるだろう。しかし「選んだ」という完了形の責任をもった者は、その変わってしまうだろう意味に対しても向き合うべきだ。それいじょうに、「選ぶ」という行為のさなかでなされた批評があれば、その表現に対しいっとうゆたかな意味をも見出すことだってできたはずだ。夜、亡くなった女の子のおとうさんのコメントをテレビのニュースでみた。生きていたころの娘の笑顔に救われた気持ちになったというようなことをいって公開を了承した。選んだひとは選んだ作品が持ってしまったこの力をどう評するのか。もちろん、これは被写体が娘であるというおとうさんならではの「とくべつ」があったのは間違いないけれど、なんらかのとくべつが介在したとはいえ、この写真はすくなくともそういうことが可能な力を持ってしまっていた。選び、意味づけを行うことのほんとうの責任というものがここにあるようにおもえてならない。
祭りのイメージに被写体が合わない、という取り消しの理由はその責任逃れでしかないとおもう。表現と向き合う覚悟がないならコンテストなんてやらなければいい。批評を持つことは、はっきりいって技術とか知識とか、そういうものじゃない。批評はほんの少しだけ表現に歩み寄るだけでなされるもので、ことばや解釈がたとえ拙いとおもわれるものであっても、正しく考え抜かれたものであってもそれは圧倒的に強くて正しい。そして作品の外的要因で簡単に意味がかわってしまうなどありえないのだとぼくはおもう。それがかんたんになされてしまうというのは、批評なくして選ぶことをおこなったから以外にありえないのではないだろうか。
詳しい会見は明日らしいのだけれど、ぼくは選ぶ側に正しい批評精神があったなら、こういうことにはならなかったとおもう。

 

コンテストの意味って

ぼくは表現を作品にかえ、意味をあたえるという行為には芸術とかそういう概念をこえたところでの尊さがあるとおもうし、その欠如が取り返しのつかないことを招くとおもっている。
ほんのちょっとの批評精神が、だれかひとりのとても大きな意味にだってすることができる。その尊さを見ないならコンテストなんてすべきじゃない。

 

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