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カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が5月中旬くらいに発売されます。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しました。

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ブログ嫌いのぼくがおもしろい!とおもうブログ6選

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てめぇこそクソブロガーじゃねぇかといわれたらこうべを垂れるよりほかないのだけれど、ぼくはブログが嫌いだ。

このことは、Twitterでは何度もいっている。しかしここのところありがたいことに読者さんも増え、アクセスもむかしからは信じられないくらいに伸びたこともあって、さすがに考えを改めないとなぁなんておもっている。

その方法としておもいついたのが、「ブログを読むこと」と「好きなブログを見つけること」だ。ぼくは自他共に認める読書好きだ。ほんらい、読書というよりもただ単に文章を読むのが好きだった。それならば読んでいて「あ、これはいいな」とおもうブログがないということもないだろう。

なので、どうして「ブログが嫌いなのか」というところからはじめて、ブログというものについてちょっと考えてみたい。今回の記事の目的はそこにある。

 

※今回、取り上げるブロガーの名前は敬称略とさせていただきました。ご了承ください。

 

なぜブログが嫌いなのか?

ブログに関する嫌悪感について、以前みどりの小野さんにインタビューしてもらったときに、ぼくはこんなことをいっていた。

ーブログを始めてみて、感じたことは?

長く放置していた期間があって、特にブログを書くことに対しては何も感じませんでした。
再開して、ブログでお金もらえると知って露骨に万人ウケを狙った記事を書きはじめてからは、「なんかやだな」と違和感を感じました。

ーなんかやだな、とは?
そういえば最近バズっていたこの記事は、タイトルの付け方がいつもと少し違っていたような気がしましたが。

やだな、というのはじぶんの思考、思考する方法(文体)の確認のために書いていたのに、他人を想定すると「伝えなきゃいけない」ということに気づいてしまったことです。

ことばについて、伝えるためのツールとして特化させなきゃいけないというのは、もともとぼくがある程度確信していたものと対極にあたるのがふつうにつらいです。そもそも、じぶんであれ他人であれ、「共感・理解する」ってことに執着することで、いろんなものをそぎおとさなきゃならない。理解や共感って、おもいかえしてみると、いいかたは悪いですが「ひとを騙す」ときにしか使ったことがなかったんですよね。

(引用:【はてなブロガーズインタビュー】カプリスのかたちをしたアラベスク‐若布酒まちゃひこと不可思議な言葉たち - おのにち

ぼくは、共感というものを信じていない。これは結構小さいときからそうだったようにおもう。正しいか正しくないか、それがすべてだとずっとおもってきた。

だけど、ブログというのはぼくが長くやってきた「読書」とはかなり違う性質を持っている。それは著者と読者の距離が異様に近いということだ。

ウェブサイトというひとつの画面のなかで、著者が本文を書き読者が何らかのリアクションを起こす。その積み重ねによって著者と読者のあいだに有機的なつながりが生まれ、メディアが成長していく。

ある意味で、それはひとつの生態系のようなものを想起させる。実際にそのことについての議論をしている本もある。(割とおもしろいよ!)

アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか (ちくま文庫)

アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか (ちくま文庫)

 

こういうシステムのなかに著者と読者がいるとしたら、ぼくはそのシステムのなかにある文章はいったい誰のものなのだろうかと思ってしまう。

PVでも収益でもなんでもいいのだけれど、ブログの価値を示すなんらかの指標があって、それを最大化する方向にブログは成長する。そして著者と読者の関係性は「共感」を軸にしたコミュケーションにより強化されていく。「共感」とはそういうツールであるとも考えられる。その「共感」を促すように最適化されたブログフォーマット、文章構成、主題が特定の誰かじゃない不特定多数の集団によって開発され、ブログという総体はその形式においてひたすらな陳腐化をたどっている。それは安定化と同義で、この陳腐化はいってみればひとつのユートピアにたどりつくという意味を持っているだろう。大事なことは、そのユートピアといかに距離をとるかなんだとおもう。おそらく、ユートピアのなかに「おもしろい」はない。

 

ぼくが「気持ち悪い」というのは、「共感」が機械的な冷たさとして語られるようなことじゃなくて、むしろその冷たさを認めようとしないことで生じる共感の連鎖だった。

ブログやSNSといったウェブメディアは、ある意味で人間の手によって進化させられたものではなく、むしろ人間をツールとすることで自発的な進化を遂げた。ぼくはそう考えるのだけど、その考えを飲み込むためには、「共感」ということばのあたたかさがどうしても邪魔になる。いわゆる「心にうったえる」というものが煽情的なことばとエピソードであまりに直接的に行われているような、ブログという現在のウェブメディアがどうも好きになれなかった。

 

※また、メディアの自発的な進化についてはゲームやアニメでも起こっている。

そのことについて、むかし友だちが主宰するカルチャー雑誌に寄稿したこともある。 

アヴァンギャルドでいこうvol.4

アヴァンギャルドでいこうvol.4

 

 

共感の鎖を断ち切ることば/最果タヒ

ぼくの好きなブログのひとつとして、まず「最果タヒ.blog」を紹介する。

tahi.hatenablog.com

詩人・最果タヒによる雑記ブログで、はてなブログなのだけど彼女のブログを言及するはてなブロガーというものをぼくは見たことがない。

彼女はとても個人的にことばを使い、じぶんが実感として持っていることしか話さない。というよりも実感が文章の前面に押し寄せ、具体性すら飲み込んだドロドロとした文章を書いている。それは共感から遠いところに身を置いているだけじゃなく、それをことばから断ち切ろうとする意思すら感じられる(もちろん、彼女の創作はその指向がさらに強くなっている)。

いちいち出典があやふやで申し訳ないのだけれど、彼女が好きな文章というのは、

「作った本人すら存在を忘れてしまったブログのなかにある文章」

なのだといっていた。

その文章は、誰かに頼まれて書かれたわけでもないし、読まれたいという意思すらない、たまたまブログというペンがあって、それを持って何かを作りたいという衝動だけの、極めて純粋なエクリチュールの結晶だ。最果タヒの文章もまた、そういう孤独をかんじる。

www.waka-macha.com

www.waka-macha.com

 

原始的なブロガー/フミコフミオ、チルド、川添

この3人についても、最果タヒと同様にとても個人的にことばを使い、じぶんが実感として持っていることしか話さない。

delete-all.hatenablog.com

cild.hatenablog.com

lfk.hatenablog.com

しかし、この三人はブログを運営しているという自覚をおそらく持っているし、だからこそ文章内で出される情報は具体的なようにおもう。

ぼくがこの3人のブログが好きな理由は、ブロガーである意識を持ちながら、不特定多数によって開発された「陳腐化(=ユートピアに至った)した形式」を採用していないということだった。すごく単純にいえば、2010年代のブログではないような懐かしさがある。読みやすさよりも、じぶんの実感が確認できる形式で奔放に語っているようで、その「書く」ということへの原始的な快楽がぼくには心地よい。

 

読んでて歯がゆくなる詩情/孤高の凡人

絵と文章を巧みに折り合わせたネタブログを運営する孤高の凡人。

kokounobonjin.hatenablog.com

Twitterやブコメではよくかれの「才能」に関する言及が多く見られるけれど、実はぼくにはそれがよく分からない。そんな雑なことばでかれのブログをとらえることは、なにもかんがえてないどころかなにもかんじていないのに等しいとおもう。ただ、たしかにとらえかたはむずかしい。

かれの文章がおもしろいかといわれればおもしろいものもある、という感じで、たまにすごく光る一文があったりするのだけれど、それが過ぎるとハッと消えてしまう。なんだか昨日死んだ人と今朝すれ違ったみたいな違和感がおもしろいのだけど、たぶん本人はそこに無自覚なのだろうな、とおもえる。

あきらかに個人的な詩情を持っているのだけれど、それを持続させる力があればすごくいいなとおもう。

現代詩手帖に毎月投稿すればいいんじゃない? 

現代詩手帖 2016年 10 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2016年 10 月号 [雑誌]

 

 

意味の場所/チェコ好き

以上5つのブログは、書かれている内容もおもしろいのだけど、どっちかというと文章の流れにおもしろさを感じるものだった。

それとは大きく性質の異なるブログが「チェコ好きの日記」である。

aniram-czech.hatenablog.com

このブログのおもしろさはなんといっても「意味」にある。チェコ好きの筆致がとてもすぐれている点は、「意味」にがんじがらめにされていないところにあって、些細だとかんじられることをから、映画や本のインスピレーションをもとに「意味を発掘」している。そのため、日記と批評がないまぜになったような、ブログというよりは「読みもの」にちかいかんじの感触がある。整然とした意味を持ちながら、日記の雑多性も同時に持ち合わせている。

 

 

まとめ

というわけで、6つのブログを紹介してみた。

個人的には定型から外れたような文章が好きだし、嫌いなブログというのはブログを価値付ける評価軸ばかりを追って定型であるということに無自覚なヤツ。まぁ、いまやブログも立派な商売なのでそれも仕方なかろうともおもう。

ブログアドバイザーのポジ熊さん(ブログ:ポジ熊の人生記)にむかし、

「ブログを好きになってください」

といわれたのですが、そうなるよう努力して今後も努力していきます。

 

長々と書きましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

 

サブブログも更新したので、そちらもよろしければ。

(理系学生の就職活動について書いてます)

www.macha-job.com

 

それではでは!