カプリスのかたちをしたアラベスク

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【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

「波 2017年7月号(新潮社)」など、雑誌にもちらほら取り上げてもらいました。

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


「なぜ芥川賞作家に東大がいなくなったか」が気になる学歴コンプのお前らに俺様が答えてやんよ

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三島は激怒した。かの高卒低学歴アッパラパー作家の深沢を必ず除かねばならぬと。

 

ちゃっす。まちゃひこです。

かの大作家、東大卒の三島由紀夫は深沢七郎に対して深い嫉妬を抱いたという話は有名だけれど、なぜまたこんなキナ臭い学歴と文学の話をのっけから持ってきたか。まずはその話から始めたいとおもう。

ことの発端はあとーすさんのこちらの記事だ。

blog.atohs.me

この記事から引用するとこんな記述が目に止まった。

 

Q.なぜ芥川賞作家に東大がいなくなったか

A.どなたか詳しい方にお任せいたします…。

 

そもそも「芥川賞」「東大」のキーワードでなぜあとーすさんのブログが検索で引っ掛かるかというとこんな記事を書いているからである。

blog.atohs.me

まえからなんとなく思っていたのだけれど、あとーすさん、可燃性の高そうなネタ好きっすよね。学歴と文学とか、こじらせた奴にとって香ばしすぎるネタだし、なんかブコメでやんややんやいわれて書いた方もメンタルえぐられそうな案件だ。

はっきりいって、先にあった「なぜ芥川賞作家に東大がいなくなったか」についての回答は

 

しらねぇ

 

のひとことで終わるし、そもそも興味がない。

が、ここでぼくはちょっと立ち止まる。

 

ぼくはブロガーだ。

 

語りえぬものに対し沈黙するのが哲学者なら、

語りえぬものに対し全力であることないこと断言キメるのがブロガーだ。

正しい情報を提供するなんてモラルはかなぐり捨てろ。

おれたちの正義はそんなところにはない。 

真実から距離を置いた、一過性の輝きにおれたちは生きる……ッ!

 

というわけで、今回はぼくが想像たくましくして件の質問に答えてみることにした。

良識とジョークのわかるやつらはここは俺に任せて先へ行け!

ぼくのあらん限りのブロガー魂を燃やしていくぜ! 

 

学歴うんめええぇぇぇえ!

 

参考データについて

いちいち自分であれこれ統計をとるのがめんどくさいし時間の無駄なので、ちょっと古いけどあとーすさんの使ったデータを元にする。あとーすさんにならって入学した大学(学部)を出身校としてみる。

(っていうかこの学部へのこだわりが相当キナ臭い仕様になってるな…。)

データが正しいかどうか厳密なことは知らん。各自自力で確認してくれ。

 

受賞者名簿

ここにも表を貼ろうとしたけど、長いのであとーすさんのブログにいって確認してくれ。

これできみも芥川賞作家の学歴については専門家だ!

(参考:純文学作家には高学歴の人が多いの?→芥川賞作家153人の学歴を調べてみた - あとーすログ

 

分析その1〜学歴と受賞人数

あとーすさんも数は数えているけれど、ランキング発表形式なので見やすさを考慮してグラフにしてみた。

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一番左は高卒以下の層で、赤い棒が東京大学の受賞者になる。

で、一番右のグレーは受賞者1名の大学を全部足しこんだもの。長々とグラフを右に伸ばしても仕方なかろうとということでこんな感じにした。そこは許して。

そう考えると圧倒的に多いのは非大学進学者で、これが全体の1/3くらいを占めているのがわかる。学歴云々で特徴的な傾向があるといえるのは早稲田と東大の2強くらい。あとはそんなに議論の余地がなさそうである。というか、東大と早稲田もそんなに区別するほどでもないようなきがする。

…というか、このグラフの形、ブロガーの方なら何やら見覚えがないであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

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 「まだ芥川賞で消耗してるの?」

 

 

 

そう、ブロガーのあなたなら、

 

 

 

 

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 「時代はnote」

 

 

 

このグラフの横軸をランキング順位に変えて、

 

 

 

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「畑耕そうぜ!」 

 

 

 

 

両対数グラフにすると、

 

 

 

 

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「書生が卒業したよ」 

 

 

 

!?

 

 

 

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 「俺は早稲田」

 

 

 

 

 

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ロ、ロロロロロロロロロ

 

 

ロングテールの法則だあああああああああああああぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!

 

 

 

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「ブログは記事数」

 

www.ikedahayato.com

 

 

おれ「いやーうつくしいですね、解説の川端さん」

川端「そうですね。実にうつくしい、ノーモーションからの鮮やかなロングテールでした」

 

ロングテールの法則とは、あるものの発生頻度とあるものを区別する何らかの指標がべき乗則に従う法則のこと。このとき両対数プロットすると直線になるのが特徴だ。

 

ともあれ、芥川賞作家と学歴の関係は「高卒以下」「早稲田大学」「東京大学」のビックスリーがあとーすさんが統計をとった2015年7月9日時点で153人中93人(およそ60%)を占めていたことになる。

まあ、集団として意味を保てるのはせいぜい東大と早稲田くらいだろう。高卒以下は括りが広すぎる。

つまりこの統計からいえることは、

「昭和文学の根幹はカシコ(東大と早稲田)によって作られ、バカと凡人の不断の努力によってつながれてきた」

っつーこった。

 

っていうか東大出身の芥川賞作家は多かったの?

直近の東大出身者は小野正嗣(2014年下半期)で、その前は堀江敏幸(2000年下半期)と、干支だけでなく世紀をまたいでいる。

それに対して、

吉行淳之介(1954年上半期)が受賞してから古井由吉(1970年下半期)が受賞するまでの約16年で東大出身者が10人も受賞しているのだ!

(吉行淳之介、小島信夫、大江健三郎、宇能鴻一郎、柴田翔、柏原兵三、丸谷才一、庄司薫、清岡卓之、古井由吉)

これは確かに「東大の芥川賞がいなくなった」という感覚を持っても不思議ではない。

この前広島が超久しぶりにセリーグ優勝したけれど、あれの逆バージョンみたいな感じだろう。

なので、一時代に比べて「東大出身の芥川賞作家は減った」というのは正しいととらえることにする。

というわけで、この先は1950年代〜1960年代の日本文学を見てみると、東大と芥川賞の関係がちょっとはわかるようなきがする。

 

1950年代〜1960年代ってどんな時代?

このあたりにあった文学的事件を列挙してみると、

「第三の新人の台頭」「石原慎太郎のデビュー(芥川賞受賞)と太陽族」「大江健三郎が当時歴代最年少(石原慎太郎とタイ)で芥川賞受賞」「高度経済成長期へ突入」

などが主だったものだろうか。実際、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作ら「第三の新人」に当たる作家が連続で受賞しているのはこの時期の日本文学の特徴を汲んでいるだろ。

そもそも第三の新人とは何か? その説明をお前らの好きなWikipediaから引用してやるから目をかっぴらいて熟読しろ。

一般に第三の新人らの作品は、日常の中の人間性を描く事に焦点を当てており、一応私小説の系譜に連なっている。第一次・第二次戦後派作家(野間宏、大岡昇平ら)は苦しい戦争体験を直接持ち、極限状態における人間を見つめる視点から作品発表を始め、

  1. 『政治』と『文学』に対する問題意識
  2. 実存主義的傾向
  3. リアリズムと私小説否定

といった傾向が見られるのに対し、第三の新人にこうした視点はほぼ皆無である。

(引用:第三の新人 - Wikipedia

つまり、「第三の新人」以前の昭和文学はアカデミックな特色(いわゆるハイカラ)があったのだが、「第三の新人」たちはそれとは距離をとったみたいなソレだ。

かれらの登場と時をほぼ同じくして石原慎太郎が「太陽の季節」という美少女ゲームのタイトルみたいな障子小説が爆発的な人気を獲得するに至る。

ここで芥川賞創設初期からこの頃にかけて東大出身の作家がやらら受賞していた理由がお分かりいただけるだろう。

そもそもこの時期までは小説ってちょっと高尚なものだったってわけ。

文学の勉強してきた連中がせっせとあーだこーだ唸って書いて、「実存…!」とか言い出して小難しいことをあれこれ考えてたってわけ。だけど「第三の新人」たちは、もっとしゅわわ〜って感じでよくね? みたいなアプローチをしていったわけ。学問から離れて個人の生活みたいな平凡な方向に小説を見出そうとした。まあ、ほぼ間違った説明をするとバカっぽい小説を目指したんや。まぁ同時期の大江健三郎とかは思いっきり「政治!」「文学!」「実存!」だったわけだけど。

そこに石原慎太郎がいいタイミングでやってきた。

石原慎太郎は「第三の新人」じゃないけれど、太陽族みたいなのができるくらい大衆に受け入れられた小説で芥川賞をとった。非アカデミズムの極北的なアレよ。これが臨界点になるッ!

慎太郎ぱねぇ。おれも地下空間掘るわ。

んで、これがじわ〜〜って後々効いてくるわけよ。選考委員も賛否両論だったけど、それから10年20年すりゃ、この時期に若手だった作家が芥川賞の選考委員になってくる。そうすっと、もう文学ってものの捉え方があまりにも多様化しすぎちゃって、ザ☆日本の文学体系みたいなものが随分とノイジーになっちゃう。凡人もバカも増えた。

で、東大卒の作家が芥川賞を滅多に撮らなくなっちゃった。ふつーのひとが、ふつーに小説に親しみ、ふつーに小説を書くようないまの時代になっていったっつーわけよ。

だからタイトルへの回答としてぼくは、

「むかしは東大・早稲田・バカしか小説を書かなかったけど、いまはそれとは時代が変わってる的なソレよ」

とするね。

 

まとめ

ざっくりいくよ。

  1. まだ芥川賞で消耗してるの?
  2. 芥川賞作家の学歴統計をとるとロングテールっぽいグラフを捏造してそれっぽいホラを吹ける。
  3. 芥川賞周りの日本文学の初期の根幹はカシコ(東大・早稲田)が作ったっぽいと煽れる。
  4. 「第三の新人」はみんなカシコだけど、バカのふりをしてアカデミックな体型を崩した的なかれらの残した膨大な作品を読まずに語ることが可能。
  5. 石原慎太郎ぱねぇ。おれも障子小説書く!
  6. 石原以降の作家が選考委員とかになっちゃった頃にはふつーのひとがふつーに小説を書くようになり、文学が大衆の方へ流れ出してあんま学歴とか関係なくなった。などとアダルトな雰囲気なバーでタバコを薫せながら女子大生の隣で眉間にしわを寄せながらいってみたい。
  7. バカはイマイチわからんがすごい。でもバカはすごい。ちょーすごい。っていうことで一周回って「わかってる奴」になれる気がする。
  8. 学歴さいっこおおおおうううぅぅぅう!

 

あと、ついでにぼくのブログに迷い込んだちょっとよくわからない検索ワードをいくつか紹介してこの記事のフィナーレを盛大に迎えたいとおもう。

 

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念のために

あの……

ここまで読んでもらって非常に申し訳ないんですが、ここに書いたこと、だいたい嘘だからね。トップ画が法螺貝の時点で気付いてくれよな。

まあ、あえて私感をいうなら、かつての東大は海外から輸入された「文学」に接しやすい環境だったというのが大きいんじゃない?うどんの修行するなら香川、オタクの聖地は秋葉原、みたいな感じで、文学が明治から昭和中期にかけて東大で栄えたのってそんなかんじで、文学の種が最初にたまたま東大に落ちただけって感じがするけど、まあ歴史とか文化ってひきずるよね。

まあこれも信じるな。信じるなよ、絶対だぞ!ぜっ、アッーーーーーーー

 

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 

※夢野久作は芥川賞作家ではありません。

 

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