カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が発売されました。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しています。

発売翌日の2017年5月29日現在Amazonランキング「日本文学」部門で第3位!

また短編集「教育と育児」も好評発売中です!


実写版映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」を観てきたけど、賛否が分かれそうなポイントを指摘してみるよ!

このエントリーにはやっぱり一部ネタバレ的なものを含んでいます。でも可能な限りネタバレにならないようには努力しました。ぼくの努力をほめてください。

f:id:bibibi-sasa-1205:20170407141832p:plain

Twitterをみていて、というかTwitterだけじゃないのだけれど、最近やたらめったら「人工知能(AI)」「シンギュラリティ」などということばがあふれかえっている。きっかけはおそらくディープ・ラーニング(深層学習)という技術の発達であって、チェス、将棋、囲碁でプロ棋士を打ち負かしたとか、Siriといった技術が日常に溶け込んだとか、そういうものでいよいよ顕在化してきた。

攻殻機動隊(Ghost in the ShellはサイバーパンクSFとして注目を集め、人間の意識や記憶を情報化し、他者と共有したり書き換えたりできる世界が舞台とし、20世紀末期以降のSFシーンの金字塔というべき作品となった。ちなみにぼくはアニメシリーズのなかでは「Stand Alone ComplexS.A.C.」がぶっちぎりで好きだ。

 

というわけで、スカーレット・ヨハソン主演で実写化された映画「ゴースト・イン・ザ・シェル(監督:ルパート・サンダース)」についてレビューをする。以降、個人的な感想と、過度なネタバレにはならない程度に物語の筋を書く。でもやっぱりちょっとネタバレするよ!

 

目次

押井守のアニメ映画「Gohst in the Shell/攻殻機動隊(1995年)」を下地にした物語

物語の筋は基本的に押井守の95年版(人形使い編)のリメイクということになっていて、公安9課の面々は少佐(スカーレット・ヨハソン)、バトー(ピルー・アベック)、荒巻(ビートたけし)はよく出てくるけれど、トグサをはじめとする他のメンバーはあんまり出番がない。あとみんな大好きタチコマも出てこないよ!

少佐は登場時は「草薙素子」じゃなくて、「ミラ・キリアン」という名前になっている。

少佐としての活躍が最初に描かれるのはS.A.C.の第1話の芸者ロボットのやつ。攻殻機動隊の代名詞ともいえるビルからダイブするシーンも顕在。なんかパッと見は全裸の女性が大暴れしてるように見えちゃうけど(たぶん肌色の光学迷彩スーツをつけてるだけ)。

そして物語はそして攻殻機動隊ファンにはおなじみの記憶の書き換え(擬似記憶)を元に後述する「ゴースト」と「アイデンティティ」をめぐる話へと入り込んでいく。(バトーは目を盗まないよ!)(ゴーストは囁かないよ!)

で、今回賛否が分かれそうなポイントのひとつとして、

「AIやシンギュラリティといった近年みられる議論に影響されすぎている」

ということのようにかんじる。そしてぼくは「否」の方だ。

というのも、この実写版では「人間とロボットの違い」というところに焦点を当てすぎてしまっていて、攻殻機動隊の世界の核となる「ゴースト」の問題とは全く違う。扱っているものがアニメ版に比べてあまりにも低レベルだと言わざるを得ない。それは次に後述する。

「無理やりねじ込んだ感が否めない」なんていう人も少なくないんじゃないだろうか。

流行りに汚染されやがって!

 

「アイデンティティ」と「ゴースト」をめぐって

攻殻機動隊で重要な概念となる「ゴースト」とは、ひとによって解釈が微妙に変わるだろうけれど、ぼくは

「人間を物質的に形作る要素に依存しない個性」

のことだとおもっている。

今回の映画ではそれをやや過剰に、直接的な議論を通して扱われているのだけれど、それがミラ(少佐)の記憶や過去に依存しすぎているという点で、やはり賛否が分かれるんじゃないかと思う。もちろん、ぼくは「否」だ。

攻殻機動隊では、人格といって差し支えのないものが「情報」というかたちで電子空間を漂っている。そしてそれは(ある意味で)物質的なものであるからこそ、書き換えや複製ができてしまう。重要なのはそこで、「書き換えや複製ができても私が私であることの証」こそ「ゴースト」だ。

しかしそこへ少佐の過去を取り戻すというストーリーが付け加えられてしまうと、殻の世界で一貫して貫かれていた「ゴースト」の概念が途端に安っぽいものになってしまう。「正しい過去を獲得することで私が私になれる」なんていう甘っちょろい思想をにはため息が出る。こんなもの、シンギュラリティやら人工知能云々の問題ですらなく、ただの扇情的なヒューマンドラマでしかない。先行作品を踏襲しろとは言わないけれど、かたちやコンセプトを変えるならそれをアップデートするくらいの重厚さがあってしかるべきなのでは?

攻殻機動隊の「ゴースト」の意味を根本的に履き違えてんじゃないの??

(*`へ´*)ぷんぷん!

 

字幕よりも吹替えがおすすめ

最初字幕でみようとおもっていたのだけれど、近所の映画館では3D上映が吹き替えだけだったので仕方なくこっちをみたのだけれど、これがよかった。

主要声優が

少佐:田中敦子

バトー:大塚明夫

トグサ:山寺宏一

なので、アニメ版と一緒。これは素直に嬉しい!

かなりスッと映画に入ることができた。

ぼくは「字幕派」か「吹替え派」でも意見が割れるんじゃないかなっておもいます。

 

スカーレット・ヨハソンについて

少佐の演技について。スカヨハは個人的にぺろぺろしたいくらい好きなのだけれど、全身義体の少佐を演じるには、もうちょっとだけ不気味さが欲しかった。

具体的には「姿勢」だ。

骨格の問題かどうかよくわからないのだけれど、なんとなく終始猫背っぽくて、「機械的な美」みたいなものが感じられなかった。なんか要所要所だらっとした印象があった。

猫背が微妙なのは美観だけじゃなく、(この物語で少佐が悩んでいる)「自分はロボットか人間か」という主題を我慢して受け入れるとしたら、当然その立ち居振る舞いの細部が人間的であるべきか機械的であるべきかには議論が出てしかるべきだろう。

個人的には、華奢な東洋人を起用すべきじゃなかったの?という感じが否めない。

 

終わりに

ちょっとざっくりすぎて申し訳ないけれど、ぼくがこの実写版をみて気になったのは以上のことだ。

でもやっぱり「ポッと出の話題に乗っかってしまったこと」、そしてそれによって「ゴースト」の意味合いや少佐のキャラクターが格段に安っぽいものになっていたことについてはちょっと許せない。ガンジーでも助走つけて殴るレベル(←前からずっと使ってみたかった!)。ゴーストの囁きがない攻殻機動隊なんてどうかしてる。

しかし議論の余地があるということは、多くのひとがいろんな見方をする余地があるということで、ほんとのところどうなのかはぜひ自分の目でたしかめて欲しい。

そういえば過去に「シンギュラリティ」や「人工知能」を題材にした映画について感想をまとめたことがあるので、ご興味がある方はそちらもぜひ読んでみてください。

www.waka-macha.com

 

というわけで今日はここまで!