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カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
小説・詩・短歌のアンソロジー「ヒドゥン・オーサーズ」が5月中旬くらいに発売されます。
ぼくは大滝瓶太として「二十一世紀の作者不明」という短編小説を寄稿しました。

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うんこ作家が紹介する野糞本がやばすぎて凄まじくおもしろいってことをみんなに伝えたい。

今月の文芸誌「すばる」にて、うんこ作家の木下古栗が書評を書いていた。4冊くらいまとめて紹介していたのだけれど、どれもこれもかれの作風を象徴するような選書で非常におもしろかった。

すばる2017年5月号

すばる2017年5月号

 

 

しかしてぼくがこの木下を「うんこ作家」よばわりするのは誹謗中傷の類なんかじゃない。先日満を持して発売された作品集「生成不純文学」に収録されていた「虹色ノート」という作品は、基本的にひたすら野糞をするだけの小説だ。

 

ある日、都会の中のオアシスともいうべき緑の多い公園のなか、男は野糞をしている男に遭遇する。それからこの野糞男と交流を深めるのだけれど、「赤いものを食えば赤いうんこが出る」ということに男は気づく。そして男は自慢の料理スキルを駆使して野糞男のうんこを意のままに染め上げるという、現代日本文学屈指の名作だ。

まぁここでは木下古栗のことはどうでもいい。とりあえず、名実ともにかれがうんこ作家であるということがわかってくれればそれでいい。あるいは野糞作家でも問題ない。

本題はこれからだ。

 

木下がすばるで紹介したもののひとつに「くう・ねる・のぐそ 自然に愛のお返しを(伊沢正名 著)」 という本がある。 

 

ぼくはこれまでブログを散々書き散らしてきたけれど、ぶっちゃけ心から伝えたい感情なんてものはなかった。

しかし今は違う。ぼくには伝えたいものがある。

だから今日はこの本の凄まじさについてみんなに伝えたい。

 

目次

 

「くう・ねる・のぐそ」とはどんな本なのか?

ひたすら野糞をするエッセイである。説明はぶっちゃけそれに尽きる。

この本にあるのは、著者のただならぬ野糞への執着だ。高校を中退し、自然保護活動に身を投じ、そしてキノコとの運命的な出会いを通じで写真家になる。そしてプロの野糞プレイヤーとして、スターダムを駆け登っていく。

野糞に開眼した瞬間のことを、かれはこのように書いている。

 

ちょうどキノコに夢中になりはじめたころ、私はあることがきっかけで野糞をはじめる ことになった。そのきっかけとは、「屎尿処理場建設反対」という住民運動だっ た。「私たちの家の近くに、そんな臭くて汚いものを造られては困る」という訴えである。

(中略)

しかし、この処理場反対運動を知ってからというもの、私のトイレに対する意識は一変した。自分で出したウンコに責任を持たず、どこか遠いところで始末してくれとは、単なる住民エゴではないか。

(中略)

自然保護を叫んでいる本人が、自分のウンコを自然のサイクルからはみ出させていてどうする。まずは自分自身のウンコ問題を解決しなければ、と 痛感した。

 農業をしていない私がウンコを自然に返すには、野糞しかない。

 

引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを 

 

以後、かれは非常にストイックな野糞ライフが始まる。

この本で一貫して主張されているのは、「自然と人間、そして社会との関係」であり、あるいは「自然の一部としての人間や社会」である。

そしていうまでもなく下品な内容を扱っているのにもかかわらず、その文章には清潔ささえ感じる。これは認識の問題であり、そもそも「野糞=下品」という脊髄反射的なイメージは我々の稚拙な先入観でしかない。自然の情景と野糞が文章の中でごくナチュラルに出会う。ここに違和感を感じさせないのは、書き手の認識が徹底して文章に反映されているからに他ならない。

この本を読むことで、うんこ座りで鋭く世界を見つめたかれの視座をぼくらは得るのだ。

野糞をするには、まずうんこ座りにならなければならない。

 

意識的野糞––––揺るぎない精神でもって言葉を創出する著者「伊沢正名」

木下がいうに、この著者「伊沢正名」のWikipediaがやばい。こんな感じだ。

高校生時代に自然保護運動に加わったことを契機に独学で撮影術を身につけ、自然写真の道に入る。微小な被写体を自然光の長時間露光で撮影することを得意とし、コケ植物キノコ変形菌の美を紹介してきた。被写界深度の深い彼の写真は図鑑にも多用されている。

また、本来、土に還るべき大便が、自然のサイクルから排除されていることに義憤を感じ、1974年から意識的野糞をはじめ、1999年には野糞率100%を達成。その後、1000日連続野糞を企図するが急な腹痛で一旦断念。再起し、2003年に1000日連続野糞を達成。2005年には2000日連続野糞達成。2008年には3000日連続野糞達成。その後も記録は伸び続けたが、2013年の7月15日に都内でお腹を壊して駅のトイレを使用し、約13年間で連続野糞記録は途絶えた[1]。2007年からは土に埋めた大便が完全に土に還るまでの過程を、掘り返して詳細に確認、記録する「野糞掘り返し調査」を実施した。なお、排便後の処理は、紙は使用せずに水と葉っぱを使用する「伊沢流インド式野糞法」を確立している。

 引用:伊沢正名 - Wikipedia

なにがやばいかと言えば、聞いたことのない日本語が満ち溢れているということだ。

引用したWikipediaの文章だけでも

  • 意識的野糞
  • 野糞率
  • 1000日連続野糞
  • 連続野糞記録
  • 野糞掘り返し調査
  • 伊沢式インド式野糞法

という、これまで30年生きてきたけれども初めて見た言葉が踊り狂っている。

「新しい言葉」を作ることは難しくない。しかしそれを長く使用し、意識に定着させることは極めて難しいことだ。

著者の伊沢は長きに渡る野糞経験から、野糞そのものを哲学に変え、果ては言語として結晶化させてしまった、驚くべき人間だといえる。

 

野糞率へ徹底的にコミットするストイックさ

 意気込んで野糞をはじめたものの、初っ端からそうそう思い通りにできたわけではなかった。二十年以上にわたって、ウンコはトイレでするのが 習慣として身についていたし、便意を催したときに、都合よく林の中にいるとはかぎらない。おまけに近くに人が いたりすれば、たとえ野山でも気が引ける。一年目の一九七四年は年間七三 回、つぎの七五年が九〇回。初心者の私にとって、野糞のハードルはまだまだ高いものがあった。

 

引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを 

 

本書の大部分を構成しているのは、「いかに野糞率を上げるか」ということである。

野糞率とは、実際に行った脱糞のうち、野糞が占める割合を示す数字だ。著者の常軌を逸した野糞への執着は、この数字への徹底したコミットとして現れる。

ちなみにうんこの記録はかなり細かく残していることも明らかにされている。

f:id:bibibi-sasa-1205:20170429173251p:plain

(引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを )

 

継続的な野糞管理によって、著者は野糞に関する価値観を随時進化させていく。その中でも大きな出来事として挙げられているのが、

「自分の野糞の跡からキノコが生えてきた」

というものだ。これは人間も自然の一部であり、そして自然に対しての貢献の象徴として描かれていて、そして「キノコ」とは著者という人間の基盤を作っている重要な自然だ。この瞬間、キノコと自分が野糞を介して接続されたことに深い感動を覚えている。

そしてさらに精力的に野糞道を邁進するようになる。

 

アシナガヌメリの件が励みになったのか、一九八三年は前年に比べて、野糞数は八回、野糞率は一・七ポイント上昇し、トイレ使用は五回減少した。数字だけ見ればほんのすこしの進歩にすぎないが、内容的にはじつに大きな成長があった。それは、ほかの人と いっしょに野山を歩いていても、積極的に野糞ができるようになったことだ。 

 

引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを  

 

野糞ビギナーへの入門書としても優秀

野糞率へのコミットの他、著者は独自の野糞法開発にも意欲を示していて、そしてそれは「伊沢式インド式野糞法」として結実する。

本書のなかでは、野糞初心者に向けた野糞法の解説にも充分な分量が割かれている。

その解説は場所の選び方から後処理の仕方まで細やかに行き届いていて、野糞の入門書としても極めて優秀と言えるだろう。

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上図:野糞法の解説 

(引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを )

 

とりわけ著者がこだわっているのは「極力ちり紙を使わない」ことだ。

それは「ちり紙」に関する著者のこんな思いに由来している。

 

大木をも分解する強力な菌類すら寄せつけないちり紙とは、一体どのような物質を含ん でいるのだろう。自然の循環に自らを組み込む目的ではじめた野糞によって、いくら使用量を減らしたとはいえ、こんな代物をあちこちの林に埋め続けていたとは!

 野糞率アップなどといい気になっていたが、結果的に私の野糞は、ただのゴミのばら 撒きだったのではあるまいか。そう思うと強い自責の念に苛まれた。

引用:伊沢正名,くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを 

 

あくまで野糞とは、資源を自然へと返す行為であり、投棄ではない。

自然に還元されないものを残すなど野糞とは呼べない、という信念が開発された野糞法の根本にあるのだ。

 

人生をかけて「かたちなきもの」を「かたちにする」営みの尊さ

まだまだ書いておきたいことはあるのだけれども、いたずらに煩雑になるだけなのでこのあたりでやめておこうと思う。

ぼくがこの本でなぜ感動したかと言えば、かたちのない「概念」をかたちにするまでの凄まじい闘争にすっかり打ちのめされてしまったからだ。

たぶん、どんな人であっても(「人間であるならば」と言っていいだろう)、生まれながらに「何かを信じたい」衝動がある。そしてそれを自分の人生を通して経験的に見出していき、個々の人生哲学というかたちで人に宿る。

しかし、実際にそれを「かたち」にできる人というのはおそらく少ない。

この本には「なぜかたちにできないのか」というひとつの解答と、「かたちにするとはどういうことか」という物語を読者に提示してくれる。

 

揺るぎない信念に触れてみたい、そういうものを自分でも作り出したい、何かを信じることに躊躇いたくない……ひとりでも多くのそんな方にこの本を読んでもらいたいとぼくは心から思う。

 

ぜひ、一度手に取ってみてください。 

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