こんにちは、あけましておめでとうございます。まちゃひこです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末年始にかけて体調をくずしてしまって、熱が39度まであがった。
いつも風邪をひいても熱は出ないタイプで、体温は37度なのにえげつないくらいダルいみたいな症状だったのだけど、39度まで上がるともう大変で目覚めている時間がこの世とはおもえない。夢心地、といえばずいぶんと快適っぽい響きになるけれども、とにかく意識が朦朧としていて、体調が回復するまでのあいだのことをほとんど憶えていない。あれ、ほんとに熱だしたのか!?的な軽い記憶障害はそれはそれで夢に似ているかもしれないけれど、合計5日ほど寝込むハメになってしまって、2017年、幸先が悪い。
今回は去年最後に読んだ本(再読)「メイスン&ディクスン」の感想を書こうとおもう。

トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection)
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トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)
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トマス・ピンチョンと隠喩
ポストモダン作家のピンチョンといえば「長くて難解」というイメージがどうしても付きまとう。これは実際に英語圏のひとたちもこうおもっているようで、カナダ人の友人サムとこの作家の話をしたときに、かれは
「ぼくはピンチョンを20ページ以上読めたことがない」
「枕にするにはちょうどいい」
というようなことをいっていた。
ピンチョンの作風というのは、とにかく多岐に渡る雑多な知識が雑然とぶち込まれるところにある。科学、文学、世界史、陰謀論、ポップカルチャー、オカルト、突然しゃべりだす犬、クソくだらないジョーク……といったものが物語の文脈を無視してねじ込まれ、小説は脱線を幾度となく繰り返す。そういうことばかりなので、「いまなんの話をしているのか?」だけでいっぱいいっぱいになる。
ピンチョンが初期に執拗にこだわったモチーフとして
「パラノイア(偏執狂)」
というものがある。
これは物語のなかでおこった物事が「何かの象徴」として強引に解釈できてしまうといった現象にあてがわれていることばだ。
しかし、ピンチョンの小説は、小説技巧としての「隠喩」ありきで読み解こうとするとまちがいなく失敗する。テーマや意味に捕われた読み方ではかれの世界にとうてい太刀打ちすることなどできなくて、読書における姑息な知恵をすべて捨て去ってピンチョンは初めて読み切れるんだとぼくはおもう。
ピンチョンはけっしてむずかしくない。読者が勝手にむずかしくしている側面も少なからずあるとおもう。
小説「メイスン&ディクスン」はまさにそういった小説だった。
旅をする。それだけの小説。
「メイスン&ディクスン」は植民地時代の18世紀を歴史小説だ。天文学者のメイスンと、かれの助手で測量士のディクスンが喜望峰、セントヘレナ、アメリカ大陸を冒険し、さまざまなひとやものに行き会う。
ペンシルヴァニアとメリーランドを南北に隔てる「メイソン=ディクソン線」はまさにかれらの業績であり、南北戦争の境界ともなった史実があるように、この物語のいたるところで奴隷制や民族差別、虐殺といった深刻な問題が描かれる。あらゆるものに対する「区別」。メイスンとディクスンが大地に引く線はまさに争いを象徴しているように見え、おそらくそのように読んでもいいのだろうけれど、ぼくはそう読むことで失われてしまうことがあまりにも多いような気がしてならない。もしピンチョンがそのようなテーマでアメリカ社会の歴史を書こうとしたならば、この物語はおそらくこんなに長くなっていない。
きっとピンチョンは物語に意味というものを求めてないような気がする。先にあげたようなアメリカ社会や歴史とは関係のない、ほとんど本編から独立してしまっていそうなエピソードでさえ、ピンチョンはすさまじい想像力と絢爛な文体でもって書き上げている。エピソードのひとつひとつは、どれもこれもメイスンとディクスンの旅で、旅の途中に出会った人物に語られた物語であり、その一瞬々々のすべてがふたりにとって等価な意味を持つ。社会や世界を超越して、個人の生がユーモラスに語られている。これこそぜったいに読み落としちゃいけないところだ。
旅とは移動だ。
メイスンとディクスンは金星の日面通過を観測し、海を越え幾多の山を越える。そして最終章でついに生死の境を越えていく。
この小説はただ旅をするだけの物語だとぼくはおもう。
しかし、この「ただ旅をするだけ」ということの重大さは、この本を読み終えたひとにしかわからないとおもう。