カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

2018.8 掌編小説「青は藍より藍より青」第一回阿波しらさぎ文学賞を受賞しました。

2017.6 文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

ぼくらはさいしょから生き死にを知っているのかもしれなかった

 

蓼食う本の虫さんに吉村萬壱氏の作品について、批評のような文章を掲載していただきました。

 

tadeku.net

 

吉村さんとは大阪の文学バー『リズール』で5年ほどいっしょに朗読会イベントの受付をしていた間柄(!?)というかんじで仲良くさせてもらっていたけれど、じつはかれの作品についてちゃんと言及したことは去年になるまでなかった。

これはぼく自身が「知っているひとの作品を客観的に、じぶんのおもう正しさで言及する」ということができるかどうか自身が持てなかったり、また、知り合いの作品となるとどうしても個人的に良いとおもえなかったことについて特にいいにくい「もやっと感」がどうしても拭えなかったからだ。それにそのもやっと感に見て見ぬ振りをしたポジショントークだけはしたくない。ぼくは作品にたいしても作家にたいしてもずるい態度だけはとりたくない。

文芸誌などで書評家・批評家の文章をたくさん読んでいるとやっぱり多かれ少なかれ「ポジショントーク」的なものは正直感じてしまっていて、とある大きな企画の際にそれが露骨にあらわれていたのをよくおぼえている。

そのようにしていわゆる「文壇的」と揶揄される振る舞いが生じてしまうのはいやだし、たとえ無名の本を読むひとりだとしてもそういうものに加担するようなことはしたくない。しかし、「わたしが読み、わたしがおもしろいとおもった」ということをひとつでも多く残すことのほうがそんなことよりもはるかに大事なんだと、じぶんの著書を出してもらってものすごく痛感するようになったし、それにこの世には世間的には評価されたされてないにかかわらず、細かな批評がなされていない作家も多い。

吉村さんは芥川賞もとって、コアなファンもがっちりつかんでいて、みずからの系譜をきちんと作り上げている作家なのに、よくよく考えてみるとそうした「吉村萬壱論」といったものをいままで一度も見たことがなかった。だから蓼食う本の虫さんから今回のお話をいただいたとき、仕事としてきちんと吉村萬壱の小説について考えてみようと決めた。そして書いた。

 

 

ちょうど最近はありがたくもメディアさんで「書評書いてもいいよ!」といっていただけることも増え、仕事として書評に取り組ませてもらえるようになりました(ありがとうございます!)。

寄稿したら、そのときに考えていたことなどと一緒にここで紹介させていただきたいとおもいます。

 

さいきんのこと

 

あいかわらず子育てマンなのだけれど、ここ1ヶ月のあいだにかれはとつぜんよくしゃべるようになった。しゃべるようになると、リアクションのヴァリエーションも豊富になり以前よりもよろこびやかなしみの感情をより繊細にあらわにするようになった。

息子はマジックハンド的に口がガチャガチャするワニのおもちゃをこわがっていて、ぼくがワニに食べられるふりをすると本気でかなしんだ。それからワニに対していつも憎悪のまなざしを向けていたけれど、

「実はこのワニさんは絵本が読める!」

といって、ワニの口の開閉に合わせて「おおきなかぶ」を読んであげると、息子はワニの口を触ったり撫でたりできるようになった。もう息子にとってワニは悪い存在じゃなくなった。しかしいつかいまの時間についておもいだそうとするかれはきっとこのことをぜったいにおもいだせないだろう。そうおもったので、せめてぼくはずっと憶えておくことにした。