カプリスのかたちをしたアラベスク

このブログはフィクションです。詳しくはプロフィール参照。

【最近のできごと】

2018.10 昨年刊行した電子書籍短篇集『コロニアルタイム(惑星と口笛ブックス)』第39回日本SF大賞にご推薦いただきました。

2018.10 短編小説『誘い笑い』を文学ムック『たべるのがおそいvol.6(書肆侃侃房)』に寄稿しました。

2018.8 掌編小説「青は藍より藍より青」第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞しました。

2つの怪文書/おばけ家族はいつから家族か

さきにまず今週の寄稿の紹介を。

 

『リキッド・サーベイランス』についての怪文書

まずテクノロジーやカルチャー系の話題を多く取り扱っているWEBメディア『UNLEASH』さんに社会学者の対談本の書評(?)らしき怪文書を掲載していただきました。

 

unleash.tokyo

 

ぜんぜんトレンドでもなんでもない、ちょっと前に出た本なのだけれど、最近になってslackやTrelloといったツールを使うようになって、組織が「液体みたい」に振る舞うことを実感して、こういうことをちゃんと書いておきたいとおもった。ダメ元で提案したら快諾していただけてとてもうれしい反面、このような話題に興味を持ってくれるひとってどれだけいるんだろうと不安になった。

途中でかつてゴリゴリにやっていた分子動力学シミュレーションの話をしているように、こうした発想というのは実はついさいきんにはじまったことじゃなく、むしろ大学院生のときに割と真剣に考えていたことだった。統計力学をやっていると、あらゆる集団についてその構造とポテンシャルを反射的に考える癖みたいなのができて、それを軸にいろんなものを観察すると、感覚的にではあるけどなんとなく「しっくり」くることが多かったりする。そういう話を積極的にしようにも、定量性やらなにやらの裏付けというのがだいぶダルくて、いまおもえばそのあたりをひとまずすっ飛ばして議論できる方法として「フィクション」を考えるようになったのかもしれない。

メタファによる跳躍はいろんなものを有機的に結びつけるという長所があるけれど、しかし「メタファとして使用されたメタファはメタファでしかない」という弱さがある。そのあたりの克服について、これからももっと考えなくちゃならないなとおもった。

ともあれ、懐の広いUNLEASH編集部のみなさんにはとても感謝しています。

 

『人工知能(AI)と新卒採用』についての怪文書

こちらは前回おもいっきり書き散らさせてくれたワンキャリアさんに掲載してもらった。

www.onecareer.jp

前回の「学歴イジり」の記事とはちがっていたって真面目に書いた。これについて、個人的にちゃんといっておきたいことがあって、それをどうにかかたちにしたいという意志が強くで過ぎてしまったかもしれないけれど、この記事がこのかたちで出てくれることはとてもうれしい。

 

きょう公開になった以上ふたつの記事はぶっちゃけ読むのにすこし体力がいるかもしれないけれど、「だれでも無料で気軽にアクセスできるWEBメディア」だからこそ、インスタントな反応をうながすのではない記事にこだわりたいなぁとおもう。

これまでぼくはライターという自覚がほとんどなかったけれど、ライターである以上、ひとつだけ何かこだわりみたいなのはなくちゃならないとおもうし、ぼくのこだわりが不必要だといわれたら、そのときはおとなしく転職するしかないんだろうなとぼんやりおもう。

 

おばけのコックさんのおばけ家族はいつから家族なのか?

ブログではたぶん久しぶりのうぇい太郎(息子)の話。

うぇい太郎は絵本が好きで、寝るまえはかならずお気に入りの絵本を3冊枕元に持ってきて読むのをせがみ、眠れなかったらさらに本棚から絵本を持ってきて多いときには布団のなかで10冊ほど読まされるはめになる。

 

 

で、最初の1冊はかならず「おばけのコックさん」だと決まっているようで、か行をうまく発音できないかれは、

「おばへのポップたん……!」

という。1回無視すると、

「おばへの……ポップたん……」

と弱々しくなり、さらに無視すると、

「おばへのポップたん!」

といって怒る。

このお話は、ふたりの見習いコックのおばけ(ペーたろ、ぽいぞう)と親方、ウェイトレスのふにさん・へはさん・ほよさんで営業しているおばけのレストラン「おばけてい」に、おばけ家族(おとうさん、おかあさん、さくぴー、たろぽう、おじいちゃん、おばあちゃん)が、さくぴーの誕生日祝いのために来店するという話だ。

うぇい氏ともう何百回と読んできたこのお話だけど、読むたびに気になることがあって、それは「おばけ家族はいつから家族なのか」ということだ。

おばけ家族は生前から家族だった6人なのか、それとも死んでおばけとして生き直しているおばけがおばけとして生殖して家族をなしているのか。この解釈次第で「おばけが家族で誕生日を祝う」ということの意味はずいぶんと変わってくるな、と反射的に考えてしまう。

しかしこの「おばけ家族」シリーズで描かれる多幸感に満ちたおばけたちの生活には、死というものを一切かんじさせない不思議な重力が働いていて、まるで月面を歩くかのようなおぼつかない、ふわふわした足取りでページをめくることになる。そんな生き死にのことを考えていると、息子がまえに泣いたことをおもいだした。

 

いまのところ、息子は絵本とぬいぐるみが好きな男の子だ。