カプリスのかたちをしたアラベスク

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2018.8 掌編小説「青は藍より藍より青」第一回阿波しらさぎ文学賞を受賞しました。

2017.6 文学ムック「たべるのがおそい」の編集などを手がける西崎憲主宰の電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より
ぼくの初の単著となる短編集「コロニアルタイム」が発売されました。

『金田一少年の事件簿』でまったく気づけなかったトリックについておもうこと

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 はじめておこづかいで買ったマンガといえば魔法陣グルグルか金田一少年の事件簿で、このふたつをひたすら読み続けて小・中学生時代を過ごしてきた記憶がある。しかし、グルグルを連載していたガンガンは月刊誌で単行本化も遅く、主に読んでいたのは金田一少年の事件簿だった。30歳を超えたいまになってみると5年や6年なんてほんとうにあっというまに過ぎちゃうのだけどむかしはそうじゃなかった。18歳になるまではとにかく月日はなかなか過ぎてはくれず、中学の3年間がとくに長かった。いまじゃだれも信じてくれないけれど中学のときは野球部で、それもけっこうきびしいかんじの部活だったのだが、アホみたいな量の練習があってこれはもう一生終わらないんじゃないかとおもえたほどだった。3年があれほどながく感じられた期間はない。
 6月、いろいろと真剣にかんがえなければならないことが多すぎて先週くらいから露骨に息切れをかんじて、ちょっとだけ休み休み働こうとおもった。午前中にやるべきことをサクッとやったあと、妻が買ってきたマンガなどをよんだ。そのなかに『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』『金田一37歳の事件簿』があった。

 どちらも読んで、予想通りのなつかしさに浸ったわけだが、さらに勢いあまって『金田一少年の事件簿』のアニメをみまくった。実は『R』は単行本で読んでいない。というか、ぼくはファイルシリーズとケースシリーズしか『金田一少年の事件簿』を追わなかった。ノベルスは図書館で数冊借りて読んだくらいだった。だから2014年と2015年のアニメは知らない事件ばっかりだった。ぼくはミステリ慣れいていないのだけど、あらためて見てみるとトリックや犯人特定の手がかりというのはかなりパターン化されていて、慣れるとけっこう読み解けたりするのが新鮮だった。そこできょうは息抜きもかねて、『金田一少年の事件簿』についてのいくつかの感想を書いておこうとおもう。

 目次

暗闇最強説?

『金田一少年の事件簿』では(コナンもそうだとおもうけれど)、「一瞬の暗闇のなかで犯行」というパターンがしばしば見られるのだが(そして片目をつぶって事前に目を慣らしておくのもお決まり)、暗闇の前後での位置関係以外の情報は原則的に読者(視聴者)に与えられない。暗闇であっても密室で誰かがが怪しい動きをすればすぐ気づきそうなものだけれども、そういう証言は一切ない。

 暗闇すごい。

 暗闇と同時に視覚以外のすべての感覚ももぎとられるみたいになっている

 すごい

犯行に使われるトリックについて

 ミステリよくあるパターンなのかもしれないけれど、『金田一少年の事件簿』では被害者や犯行現場のすり替えトリックが頻繁に使用されている。前者については六角村のミイラをはじめ「死体が損壊されている」ということが起こればまずこれが疑われるので気付きやすい。

 後者の方は、移動が作中で重要な役割を果たすものでよく使われていて、代表的なものでは「速水麗華誘拐殺人事件」「獄門塾殺人事件」が挙げられる。とくに獄門塾に関しては舞台そのものがトリックのためにあるみたいな状況設定がなされているためメタ的な視点からほぼ確実に行われているだろうという予測が立つ。とはいえ、トリックの規模がでかいため、そういう発想を瞬間的に導き出すのがむずかしい。ちょっと頭がやわらかくないとひらめけない。

 ぼくはトリックまですべて完璧に解けるというケースはあんまりにないのだけど、だいたいの話で部分的な推理は当たるには当たる。しかしおもわず「んなアホな!」とおもったのが「雪鬼伝説殺人事件」である。
 この事件では最初の被害者が宿泊しているコテージが凍った池の上に建てられていて、電熱線で池の氷を溶かし、コテージごと被害者を池にはめてしまうというトリックが使われているのだけど、これをどうやって気づけというのか!とおもった。犯人はそのリゾート開発を行った会社の社長なのだが、いくらなんでも建設段階で指摘されるべきことだったのじゃないのか!ということが気になりすぎた。

ミステリという特殊な空間

 こういうことばかりネチネチいってるだけだとただのつまらない読者(視聴者)なわけだけれど、ぼくはミステリのおもしろさはリアリズムとファンタジーの中間みたいな特殊な空間にあるとおもう。

 たしか貴志祐介は自作の『青の炎』について作中で用いられたトリックは意図的に実現不可能であるように作ったといっていた。

 たしか京大で行われた講演会でチラッといっていた気がする。ほんとうに完全犯罪ができるようなものを公開するのは社会的にいけないとか、そういう理由が話されていたような気がするけれどあんまり正確に憶えていないので断言はしない。
 この話でおもしろいのは、「ミステリにはミステリ特有の空間がつくられている」ということだとぼくは考えている。ぼくはフィクションには「フィクションという特殊な空間のなかでのみ機能する空間のなかで何かをおもったり考えたりすること」に大きな価値があるとおもっていて、ミステリにもそれがたしかにある。とりわけ「推理」を重要な要素としてつくられているミステリ作品には、犯罪の決行と解決をめぐって過剰な論理が張り巡らされている。たとえば『金田一少年の事件簿』にとって重要な先行作品である横溝正史の金田一耕助シリーズ『八つ墓村』も、ミステリが成立するための空間作りに大きなコストが割かれている。

 もちろん、ぼくが先にあげたことは単なる「お約束」なのかもしれないけれど、そもそも作品のなかに過剰に「現実の常識を持ち込む」ことじたい、ぼくの頭の硬さの原因だった。この「常識的に考えて……」は何事においてもバカにならないくらいに厄介で、発想を大きく飛躍させるためには障害でしかない。ぼくが大掛かりな犯行現場すり替えトリックコテージごと池にぶちこむといった発想を持てなかったのは、ひとえにぼくの至らなさによるものだな、とおもえてとてもすっきりした。

ちなみに、

ぼくは「怪盗紳士の殺人」がいちばん好きです!

 

Amazonプライム・ビデオではアニメ「金田一少年の事件簿R(2014年放送分)」をみれます。
dアニメストア では「金田一少年の事件簿R(2014年、2015年放送分)」をみれます。